なにもしらない

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「2010年代の音楽はクソだっ」はクソ

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Negicco「愛は光」(作詞・作曲 堀込高樹、編曲 KIRINJI)


D.A.N. - Zidane (Official Video)


ウワノソラ'67 - シェリーに首ったけ


スカート / 視界良好【OFFICIAL MUSIC VIDEO】


北園みなみ「夕霧」Music Video


ミツメ - あこがれ


Yogee New Waves / CLIMAX NIGHT (New Version - Official MV)


GLIM SPANKY - 「美しい棘」Music Video(Short ver.)


never young beach - 明るい未来(official video)


AL / 花束 [MUSIC VIDEO]

ファッキュー

Dishonored 2やってる

東京ゲームショー開催時にPlayStationStoreでセールをやってたのでDishonored(ディスオナード)の1と2を買った。こないだ1をクリアして今は2をやってる。

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いわゆるステルスゲームなのだが、超能力が使えるというのが他のゲームとは違うところだ。瞬間移動したり、自分の分身を作ったり、他人に乗り移ったり、時間を止めたり、まあ色んなことができる。だから普通のステルスゲームよりテンポよく、派手にプレイできるのがいい。ただ僕は下手くそだから無理なのだが。

もう一つ違うのはデザイン。1でもすごかったが、2のステージデザインはマジですごい。侵入ルートの自由度がさらに上がってるのもすごいが、ああーこことここが繋がってたのか! なるほど! と思う瞬間がめちゃくちゃあっていちいち感動してしまう。とにかくステージの密度が高いのだ。

特にクロックワーク・マンションという、この世界におけるインテリ中のインテリ発明家が作った機械仕掛けの屋敷があるのだが、ところどころにレバーがあって、それを引くと歯車やらなんやらが働いて床が動き壁が動き、違う部屋へと変形する。日本的に言うとからくりというやつだ。それによって新たに通れる道が生まれたり、建物の裏側、つまりからくりの内部を通れたりもする(その瞬間は第四の壁を超えたような感動がある)。しかも凄いのが、嘘をついてないことだ。変形に誤魔化しが一切ない。ケレン味なし。言っとくがこの建物結構でかい。一体何食ったらこんなステージ設計ができるのか。

さらに特徴を言うと、風景がめちゃくちゃきれい。ぶっちゃけて言えば僕がこのゲームを遊び続けてる理由の大半はこれだ。雰囲気がめちゃ良い。普通に観光したい。ぶらぶら歩きたい。アサシンクリードの最新作でぶらぶら歩けるモードが追加されるらしいが、このゲームにもそのモードが欲しい。それぐらいきれいなのだ。ただしきれいと言ってもいわゆるリアル系ではなく油絵っぽいタッチ。加えてスチームパンク的世界観なのも最高。だからどこでスクリーンショットを撮っても絵になる。というか絵に見える。とてもゲーム画面には見えない。だからこれでフォトモードが付いてたら更に良かったんだがなあ。

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いないほうがいいにんげんはいるのか【追記あり】

嫌われ者が誰にも助けてもらえずに死ぬことについて時々考えていたが書かなかった。解決策は何も思いつかなかった。嫌われ者には生きる権利はないのかなと思った。あるいは「どんなダメな人間でも救ってくれる誰かがいる」という幻想によって社会は成り立ってるのかとも考えた。そんなに多様性が大事なら金持ちの住んでる街にホームレスを置いてみろ、という例え話が頭に浮かぶ。治安は間違いなく悪くなる。治安が悪い街には住みたくない。逃げそうだな。やっぱり幻想か。

インターネット上だと「メンヘラからは逃げろ」って意見を山ほど見る。僕は私はあの人と関わりたくないけど、死ねとまでは思っていない。僕は私はやらないけど、きっと誰かがそいつを救ってくれるだろう。では誰が?

これだと性善説すぎるか。多数の人間が「嫌いなやつは死んでいい」と考えてるんだ、と解釈したほうがスッキリする。ただ表向きにはそう言わないだけ。

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やはり世の中には死んだほうがいい人間がいるってことなのか。

西野亮廣は死んだほうがいいか? 少なくとも僕は嫌いだし、僕の視界に入る瞬間が一生来ないでほしい。山本太郎も長谷川豊も。結局僕も同じだ。

p-shirokuma.hatenadiary.com

それとも「治療」するか? その人のために金と労力を払ってくれる人間がいればだが。

【追記】
嫌われ者の例えとして、殺人者が刑務所から出てきた際、彼を救ってくれる人間はいるのか、ということを考えている。刑務所から出てきた人間は、そうでない人間に比べてとうぜん現在の社会についての知識は欠けているだろうし、前科持ちであることにより就職においても不利である。つまり社会的弱者と言っていい。かつて加害者であった弱者。この弱者を救ってくれる人間はいるのか。

普段からぼんやりと「弱者を救う」と唱えている人たちは、こういう弱者のことを想定できているのか。こういう弱者を救う覚悟ができているのだろうか。できていないんじゃないか、ということを考えている。