なにもしらない

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『リズと青い鳥』すごかった

リズと青い鳥が余りにも凄すぎたのでレディプレイヤー1の印象が吹っ飛んでしまった。別にレディプレイヤー1がしょぼいって言ってるわけではない。
 
とにかく暫定一位です。2018年における僕が触れたコンテンツの中で暫定一位。文句なし。まず冒頭のシーンでもう勝ってる。セリフほぼなし。音(靴音)と画のみで、具体的には登校風景、みぞれが希美を待つ、みぞれと希美が歩く、このシーンのみで二人の関係をわからせる。わかったか、リズと青い鳥ってのはこういう死ぬほどねちっこい映画だ、一瞬でも画面から目を離すんじゃねえぞ、という監督からのメッセージが伝わってくる。そのまま最後まで突っ走る。
 
なんというものを見てしまったんだと思った。こんなに緊張感のある90分があったろうか。しかもホラーであるとかサスペンスであるとか、そういうわかりやすく疲れるジャンルでの緊張ではない。女子高校生二人の、学校内の関係だけでこの緊張感を作っている。ストーリーは全然複雑ではない。そういう、構成の妙で見せるタイプの作品ではない。とにかくディテール。ディテールが異常。それだけで90分釘付けにさせる。天才の所業である。
 
しかもそのディテール全てが「感情」に奉仕している。何もかもが感情の映画。二人の複雑な感情をできるだけ正確に、詳細に表現するためだけに存在する音、レイアウト、しぐさ、モチーフ、瞳の動き。それらが絶え間なく流れてくる。その上、一つ一つがやたらと重い。感情の洪水と言ってもいい。あまりの重さと量なので、見終わった後めちゃくちゃ情緒不安定になるくらい。それぐらいのパワーがあった。リズと青い鳥のことしか考えられなくなった。

面倒臭い

togetter.com

面倒臭いと思った。「おっさん」という定義が曖昧で否定的なニュアンスの言葉を使ってキモいだのキモくないだの、勘弁してくれと思った。おまけに「男は歳を取ると必然的にキモくなるので仕方ない」と自分に呪いをかけたり(いいからお前は逃げ恥を百万回見ろと思った)、「キモくないおっさんの条件の一つは太ってないことだ」と太っている人間をさりげなくdisってたり、そんなのばっかりで読んでて疲れた。

かといって「自分に呪いをかけるのは良くない」とか、「太ってる人間をあなたは差別してますよね」とかいちいち相手にリプライを飛ばしたりはしない。僕にはわざわざ相手と議論の応酬をする勇気はない。言うのは疲れる。聞かされる側にとっても余計なお世話だ。ならば関わらないのが一番良いのでは?

クズだのキモいだの好きなだけ言っていいはずだ。言っちゃダメってのはおかしい。ただ僕が面倒臭くなっちゃうだけだ。避けたいってだけだ。関わりたくない、それだけだ。そういうことを聞く義務も読む義理もない。そして僕はそういうことを聞いたり読んだりすると不快な気持ちになる。不快な気持ちになるのは面倒臭い。故に関わらない。それでいいんじゃないか。たかが僕ひとりに避けられるなんて大したことではないはずだ。

「他人の人生を批評するのをやめろ」と言ったって何になる。余計なお世話だ。他人の人生を批評したい人は世の中にたくさんいるし、それが楽しいんだからいいじゃないか。何が問題か。僕がわざわざ見ちゃうのが悪いのだ。

そんなん考えるより明日の生活、明日の自分を考える方が百倍有益だ。あるいはウィッチャー3の方が百倍面白い。それでいいのでは。

僕の知らない差別

YouTubeでレコメンドされてきてたまたま見た動画が、元女性の男性が生理用品を並べて女性の生理がどれだけつらいのか語る、というものだった。動画の内容自体は非常に勉強になって良かったのだが、気になったのはそこではなくて、コメント欄のほうだ。

大半の評価されているコメントは「元女性だからこそちゃんと教えられる」とか「元女性だから説得力がある」とか「元女性だからこそわたしたち女性のことをわかってくれる」とかそういうものだった。それに対し面白いコメントがあって「これは差別ではないか」。この動画を「元女性の男性が生理用品を紹介する」と解釈してしまうのは、世の中にいる元女性の男性に対する差別ではないか、というものである。

例えばこれが「男が生理用品を紹介する」だとどうだ。これに対しては不快を感じる、よく知らないくせに語るなと言われてしまうかもしれない。ならば「女性の生理について詳しい男が生理用品について解説する」のはどうだ。これも気持ち悪いと言われそうだ。その動画がたくさん再生されて高評価がたくさん付くイメージは全く浮かばない。

(もちろん、そもそも女性の生理について男性が語ることを気持ち悪いとか不快とかいって退けてしまうのは差別的ではないかという論点も考えられるが、話がとっちらかってしまうのでそこは置いておく。)

しかし「元女性の男性が生理用品について解説する」ならどうだろう。他の二つと違うのは「元女性」という部分であり、これをもし気持ち悪くないと感じるのだとすれば、「元女性」と言う肩書きがあるからなのではないか。実際コメント欄には「元女性」であることを強調するものがたくさんあった。しかしいくら彼らが昔「彼女ら」だったとしても、今は「彼ら」である。ならば今の彼らを、ビフォアの部分ではなくて、純粋な男性として、内容についてわたしたちは評価をするべきではないか、というのが多分言いたいことなんだろう。あなたたちは「男性」であることよりも「女性」であったことを積極的に評価してしまっているのではないか、それはあまり良いことではないのではないか、と。

ただ僕がまず思うのは、この動画において彼らは冒頭に元女性であることを自ら主張しているわけで、であるからして、それ込みの評価をされることについて彼らは特に不満を持ってはいないんだろうと思う。むしろサムネにドドーンと「元女子」って書いちゃってるくらいだし、狙ってやってると言ってもいい。だから「動画作成投稿してる彼らにとって差別的か」と言われると多分そうではない。しかし彼ら以外の、元女性で現在男性の方々がこの動画や書かれているコメントを見た場合に、不快や怒りを感じることは十分考えられるだろう。つまり、たとえ彼ら自身が「元女性」として扱われることに抵抗を感じていないのだとしても、彼ら以外の、過去女性であったことを強調したくないとか、隠しておきたいとか、そういう風に扱われたくないと思ってる男性にとっては、こういう動画は「男性」と「元女性の男性」の差異を強調してしまう差別的コンテンツである、と感じられるかもしれない。「これは差別じゃないか」とコメントした人(その人は「自分はFTMである」とも書いていた)はコメント欄において半分荒らしみたいな扱いも受けていたが、僕はむちゃくちゃを言ってるとは思わなかった。一理あると思った。