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面倒臭いのが良い/悪い

前の記事書いていて思ったのが、「ネットでコミュニケーションを取ることがもはや常識化している人々にとっては、ネットでSNSを使うのは危険だからやめようなんてセリフはもはや何の意味も持たない」ということだ。

ネットのどこかに「なぜそこまで繋がりたいのか」って題名の記事があったけれど、繋がることがもはやご飯を食べるとか風呂に入るとかいうレベルで日常になってしまっているのだから、それをなぜと言われても正直困ってしまう。

例えば、先進国と言われるヨーロッパの国々ですら(特にフランスはそうだった気がする)、昔は風呂に入る習慣を持っていなかった、という話がある。そのヨーロッパの国々が、僕たち日本人に対しなぜお前らは昔から毎日風呂に入ってたんだと言われても、それがアタリマエだったからとしか言い様がないだろう。逆のパターンでも良い。日本人がフランス人に向かって、なぜ昔のあんたらはうんこまみれのベルサイユを平気で生活できてたのかとか言っても、言われたほうは困ってしまうだろう。

根本の話をすれば、ただそれがいつもやることだから、というところに行き着くと思うのだ。

 

というのが本当に書きたかったことではなくて。

こんなこと書いたら元も子もないし。

 

そこであえて、なぜネットコミュニケーションを重視するのかということを、習慣だから、以外の言葉で書きたいと思う。

ぶっちゃけ、それはただ便利だからってことに尽きるんじゃないかと思う。ネットは非常に楽だ。コストがかからない、そして気軽に会話できる、そこで気が合う人がいればその人と会えばいい。要は「自分にとって丁度いい人」を簡単に抽出することができる。合理的なのだ。

 

それに比べ現実におけるコミュニケーションは非常にめんどくさい。趣味の一致する人や、気が合う人を気軽に選択できない。

あと個人情報を晒さなくてもいい。Facebookやらを本名でやってる人にはわからないだろうが、個人を特定される(顔を見せる)ことに抵抗を感じるからだ。

そして個人的に最も面倒臭いのは、言葉以外の様々なコミュニケーションだ。例えば表情の変化、しぐさまでも受け取って総合的に判断しなければいけない。

 

ネットを知らない人はそれらネットの利点、リアルの弱点を理解していない。そもそも「ネットを知る」ことに一定のハードルがある。

だから、ネットを使う人々がなぜやたらSNSなどを通して繋がりたがるのか、彼らは理解できない。

 

かと言ってリアルには強みがないと思っているわけでもない。

以前CDの話をしたときに言ったけれど、実際に店に行き、たくさんのCDの中から1枚を選び、レジに持っていき、店員にそのCDを出し、お金を払い、自分のものとなり、それを持ってドキドキしながら家に帰り、ワクワクしながらビニール袋を破って…という「経験」を大事にする人もいるだろう。

 

経験を「利益」と捉えるか「無駄」と捉えるかで人の行動は決まる。前者なら直接店に行って買う、という選択をするし、後者ならAmazonでポチるという選択をする。

要は後者の、経験を利益とみなすことができない人にとって、そういう形にならない利益は、具体的な利益に劣る。

言い換えれば、無駄を削減することよりも、無駄を感じることのほうが自分にとってよりオイシイ、と判断できれば経験を選ぶ。

 

例えばスーパーで売られている野菜を買うよりも、実際に自分で種から時間をかけて育てた野菜の方が、はるかに美味しいと感じられるはずだ。これは客観的な問題じゃなく、感覚的な問題である。

けれど僕たちは、お店に行って完成品を購入するという手段を取る。なぜか。その方が合理的だし楽だからだ。一から野菜を作るのは面倒臭いからだ。

そういう選択をした人たちに「自作の方が美味しく感じられるよ」なんてことをいくら言おうが、じゃあ作ってみようかとはならない。

ネットコミュニケーションの問題ってそういうレベルの話だと思う。

 

もちろん、ネット利用者も面と向かってコミュニケーションを取ることに、メリットというか、暖かい何かを感じている部分はある。だからこそオフ会ってものがあるわけだし。

でもリアルばっかだと面倒臭いのだ。

 

 

今まで書いててようやくわかった。便利か習慣かの二択にしちゃうのがそもそも間違っていて、便利が故に習慣化した、と考えるのが一番しっくりくる気がする。多分これが一番正しい。

なによりこれまでの文章だと「SNSを積極的に利用するリア充」について説明できていない。