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サブカルブログって程でもない

アニメ、音楽、本、映画、インターネット

暁美ほむらから見た世界(ネタバレ有り)【修正しました】

※今回は完全に本編のストーリーに踏み込んだ話です。

 

この映画を僕は、友人と二人で観に行ったのだけれど、そこで不思議に思ったのが、見た後の感想がそれぞれ違っていたことだ。僕は「虚淵さんそこまでほむらに酷いことするなんてひどい」とおもったが、友人のほうは「そこまで酷いわけではなくない」と。なぜこうなったのか考えてみた。

 

まずまどマギアニメ版を見ているか見ていないかが、感想に影響したのは確かだと思う。実は友人の方はアニメ版を見ていなくて、対して僕は今までのほむらの苦労を嫌というほど知ってしまっているから、その上映画でまで酷いことされるなんて、と思ったのだ。

暁美ほむらというのは、唯一の友達であるまどかを助けるために、何度でもやり直すという選択をしたキャラだ。やり直すということは、まどかがほむらと仲良くなるまでの期間を一切忘れてしまうことでもある。ほむらにとってまどかは大切な友達であるが、まどかはそれをわからない。というよりわからなく「なってしまう」。せっかく仲良くなっても、ほむらが最終ボスである「ワルプルギスの夜」に負けてしまえば、また最初からやり直しに。どういうことかというと、ほむらが負けるとまどかが魔法少女になって最終ボスと戦うことになる。確かにそうすればワルプルギスの夜には勝てるんだけども、そのためには膨大な魔力を使わなければならない。よって最終ボスを倒した時点でまどかのソウルジェムは真っ黒になり、ワルプルギスの夜を超える最強の魔女が誕生する*1。結果見滝原は壊滅、ゲームオーバーである。

仕方ないのでやり直すと、何も知らないまどかが再び戻ってくるわけだ。

繰り返せば繰り返すほど、ほむらの中でまどかという存在はどんどん大きくなるが、まどかにとってのほむらは覚えてるような覚えてないような(夢の中で逢った、ような)存在でしかない。そんなに辛いならもうやめちゃえばいいのにとも思うが、しかし諦めるというのは、ソウルジェムが真っ黒に濁り、魔女になってしまうことと同義である。故に諦めようにも諦められない。

そういうどうしようもない期間を何回も繰り返した果てに、遂にまどかが立ち上がり、ほむらを、果ては魔法少女全体を助けるために、自らが神様になるという選択をとる。それまではキュウべえルールだったのが、まどかルールの世界に変えたのだ。そしてまどかはほむらに対し「最高の友達だよ」と感謝の言葉を届ける。ここでようやくほむらの努力が報われたわけだ。

大筋で見れば確かに魔法少女たちは救われたわけだが、ほむらが救われたかというとそれは微妙だ。まどかは地上の人間ではない概念の存在=神様になってしまったので、クラスメイトも友達も、家族でさえまどかのことを覚えていない。その中で、ほむらは鹿目まどかを覚えている世界にただ一人の人間になった。誰もまどかのことを知らないから、誰にもまどかについて話すことができず(電波ちゃんだと思われちゃうからね)、一人で抱え込むことになってしまい、加えてこれまで抱え続けている「まどかと仲良く喋りたかった気持ち」も膨らみ、それでも耐えて耐えて頑張っていたのだ。こんな状況にあれば、いつダメになっても、糸が切れてしまってもおかしくない。

これがテレビアニメ終了時のほむらの状況である。

 

そして劇場版。

魔女になるかならないか、というくらいに追い詰められていたほむら*2は、キュウべえから非人間的な(非人間なんだけど)仕打ちを受ける。真っ黒になりかけたほむらのソウルジェムをSF的なシールドで覆い、外部からダメージを受けないようにしてしまった。要は生殺し状態である。結果、ほむらはいつまで経っても救われず、ひたすら辛い。その果てしない絶望から逃れるため、妄想の世界に逃げこむこととなった。なんだか書いてて胸が痛い。

加えて致命的な出来事が起こる。妄想世界において、自分が神であるという認識を持たないまどかが出てくるのだが、そのまどかにほむらが自らの苦しみを吐露するシーンがある。「まどかが私たちと離れ離れになってはるか遠くに行き、神様的な何かになり、二度と会えなくなってしまう、そういうひどい夢を見たの」。そこでまどかは「それはとても辛い」と答えてしまう。つまり「まどかは神様になることで皆と二度と会えなくなる選択をしたけれど、本当は嫌だと思っている」という言質をここで取ってしまった。そんなわけねーだろほむらアホかって反論は受け付けないよ! それが完全に引き金となって、ほむらは悪魔になることを選ぶ。

ほむらというのはずっとまどかのために頑張ってきたキャラなので、まどかの望みに応えないなんてことは当然できなかった。

これまでの様々なストレスに、まどかの望みという、彼女にとって究極的なものが加わった結果、ほむらの心は爆発してしまった。自分の願い、まどかの願いを叶えるため、まどかの作ったルールをぶち壊してまで、理想の世界を作る悪魔にならざるを得なくなった。

 

テレビアニメで果てしない努力をしてきたほむらが、再びここまで苦しめられることに、僕は「虚淵シャフトてのはなんてえげつないやつらなんだ」と思ったわけだ。

個人的にまどマギの中でほむらが好き、というのも大きいと思う。この映画はほむらが好きであればあるほど苦しめられるし、より共感できる。

なぜあそこまでほむらは暴走してしまったのか、僕にはよく分かる。そうなってしまっても不思議ではないだろうと。

 

これがほむら側から見た世界である。

おそらく何のキャラが好きなのかによって、物語の見え方は変わってくるのだろう。

 

*1:ほむらがループする度に、まどかを救いたいという願い=力はまどかの中に溜まっていくので、数をこなすほどまどかの魔法少女としての潜在能力は上がっていく。要は頑張れば頑張るほど追い詰められていく。

*2:テレビアニメ最終回の最後のシーンで、ほむらは真っ黒な羽根を生やし、新たな敵である「魔獣」に突撃していく。真っ黒な羽根=ほむらが魔女になりかけていることの暗喩ではなかろうか。