なにもしらない

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枠からはみ出たいと思うのは「ふつう」のことだ

かつて僕の通ってた中学では眉毛を剃ることが禁止、髪を染めるの禁止、パーマ禁止、など、様々なルールがあった。よく考えてみればおかしいのだ。なぜ眉毛を剃ってはいけないのか、なぜ髪を染めてはいけないのか、全く客観的な理由がないのにもかかわらず、何故か皆がそれを良くないことだと思っている。確かに、若い時から髪を染めると髪が痛む、パーマを当てると髪が痛む、そういう欠点はあるらしいが、かと言って禁止するほどじゃない。別に染髪は犯罪じゃない。学校側ができるのは、生徒に染髪の欠点をきちんと伝えたのち、できる限りやらないでくださいと言うぐらいのことじゃないか。加えて言えば眉毛に関しては剃ろうが剃らまいがそんなに変わらんだろうと思う。眉毛のルールはほんっとわけわかんなかったな。

その中でも、あえてルールを破る人間がいる。破る人間にも二種類いるが、この場合ルールをルールだとわかっていて破ろうとした人間に絞って書く。「ルール」を「破る」というように、この人間は学校のルールをそもそも守るべきものだと考えているから、破ろうという発想ができる。初めから自分が正しいと思っているならば、破るも破らないも何もない。あんなのはルールじゃないと思ってるんだから。文字通りルールを破るような人間は、本当の意味ではルールから抜けられていない。

枠からはみ出ることを目的にしている間は、ふつうの人である。

結果的に枠からはみ出してしまった人間こそが、ふつうではない人になれる。

サブカル野郎が「ふつうじゃなくなりたい」と願った時点でそれは「ふつう」だ。

「髪染めましたー」じゃなく、元から赤髪の人こそが「ふつうではない」人だ。

ただ、別にふつうではない人になる必要はない。ふつうは悪ではない。本来「ふつう」も「ふつうじゃない」も、それらはただの性質であり、そこには悪も善も、優も劣もないはずだ。