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「考える」本の読み方について

本を読んで、考えて、形にする。 - ぐるりみち。

「本を読む=思考停止?」の辺りまで読んで思いついたので書きました。書き終えて上の記事読んでみたら、多少かぶっている部分もあってどうしようと思った。すみませんそういう意図はありません。

 

本ってのは思考停止しようと思えばいくらでもできるし、考えようと思ってもいくらでもできるツールだと思う。

思考停止というのは、本に書いてあることを鵜呑みにすることであり、逆に、考えるというのは、鵜呑みにしすぎないことだろう。

僕の「考える」本の読み方は、読み進めながら、まずは色々な気になった箇所について、ここは賛成できる、ここは反対である、ここは今の自分の基準では反対だが、心を入れ替えて賛成側に回ってやってもいい(上から目線)、というように、自分の中で賛否を決める。そして最後まで読んだ時に、大雑把に見てこの本の一番言いたいこと、大意について賛成反対かを決める。というものである。

これはいつ決まったんだろう、様々な本を読んでいる間に自分の中で作られたルールなのだけれど、割とこのルールは使える気がする。特に教養書を読む場合においてかなり有効ではなかろうか。

この結果どうなったかというと、一冊の本に対して何もかも正しい、と思うことがあんまりなくなる。『いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか』を読んでいる時は、いじめについての考察は賛成できるが、最後の章の提案は余りにも突飛で現実性に欠けるなあ、と思ったし、『人間はいろいろな問題についてどう考えていけばいいのか』については、大枠では賛成だが、たまにこの人思い込みで書いてるな、感情的になっているな、と思った箇所もあったし。大抵の本はなにもかも正しい事が書いてあるわけではなく、たまに論理が飛躍したりもするし、訳のわからないことを書いてたりもするだろう。とにかく重要なのは、著者の書いている何もかもに賛成する必要はない、ということである。

もちろん、思考停止してその世界に完全に浸りきるのが悪いというわけじゃない。大体の小説は、僕の中では思考停止して読める書物である。例外もあるが。

考えて読むのは、確かに思考を育てるという点では良いのかもしれない。ただ、考えるというのはある程度自分に負荷をかけるものなので、どんな本でも考えて読んでいると、もしくは考える本ばかり読んでいると、いつからか面倒臭さが勝り、読書に対してのモチベーションが下がってしまうかもしれない。

考える時間も大事だが、考えない時間も大事だろうと。そのバランスを上手く取れるようになれば、読書はより良いものになるのではなかろうか。

つまんないオチになってしまった。