なにもしらない

アニメ、音楽、本、映画、ゲーム、インターネット

のんのんびよりも、ゆるゆりも、百合じゃない。

まとめブログ見てたら、のんのんびよりの売上が9000枚行ったとかいう記事が載っていた。まあそれはいいんだ、おめでたいことです、しかしその一発目のコメントに、「やはり百合アニメは強い」云々書いてあるのを見て、これは俺への挑戦かふふふ、と思ったので書くことにした。

のんのんびよりは百合アニメじゃないだろ。あのアニメの何処に百合的な要素があるのか、いや蛍のあれあるじゃないか、それは確かにあるっちゃあるが、百合そのものじゃないだろ。


他のもそうだが、例えばゆるゆりは百合じゃないと僕は思っているのだけれど、それはなぜかといえば、百合要素があくまでキャラ付けとしての意味しか持っていないからだ。

ちなつが結衣先輩にやたらラブアタックかましてるのは、あれはギャグとしてああいう風になっているのであって、マジではない。ちなつの気持ちはマジだろう、いやそういう話をしているんじゃなくて、ゆるゆりという作品において、結衣先輩を好きであることは、あくまでギャグとしてしか扱われていないということだ。もっと言えば、結衣を好きだという事実自体がちなつのアイデンティティになってしまっているのだ。

のんのんびよりも同様に、蛍が小鞠のことを過剰に好いている、ことはあくまでキャラクターの「特徴の一つ」である。だからあれは百合作品じゃないと思うわけだ。


比べて百合作品は何だといえば、女の子が女の子を好きになるのが物語を描く上での前提、テーマとして存在する。

百合作品でとあるキャラが女の子を好きになるのは、キャラの設定としてそうなっているからではない。百合作品では、のんのんびよりの蛍やゆるゆりのちなつの様に「女の子が好き」って要素でキャラ立ちしてるキャラクターはいない。

そうやって一人のキャラに凝縮されているわけではなく、もっと広く、作品世界全体に横たわっているのだ。その世界があった上で、女の子を好きになったりならなかったり、を物語るわけだ。言い換えれば「女性が女性を好きになること」について語るのが百合である。

そこで同性を好きになってしまった、どうしよう、と葛藤が生まれることもあるし、生まれないこともある*1が、どちらにしろ、前提条件として、女の子が女の子を好きになる世界があるのは同様である。


というかそもそものんのんびよりって恋愛モノじゃないというのがあるのだけれど、それを言ってしまったら今まで書いたの意味がなくなっちゃうので無しで。

*1:ちなみに葛藤が生まれない方が今やってる桜trick