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「議論」じゃなくて「お喋り」がしたい

議論の精度を下げていること: やまもといちろうBLOG(ブログ)

これに対する返信ではないけど、これを読んで思ったことを素直に書きます。

みんなそんなに考えて書いてるわけじゃない

フツーの人は別に議論しようと思って何かを言ったり書いたりしてるわけじゃない、ってことを知らないというか、無いことにしてるというか、そんな感じの人結構居る気がする。特にネットでクソ真面目に頑張って文章書いてる人ほどこういう傾向があるように思う。ちょっと見てみれば一目瞭然だと思うのだけど。

まずTwitter。あれは呟けるサービスであって、練りに練った思想を投稿するためのサービスではない。いや別にそこでちゃんとした考えを呟いたって良いのだけれど、大半の利用者は素直に思ったことを書いている。率直に書いている。ひねくれていない。

ブログもそうだ。このはてなブログはまあ例外なのかもしれないが、大抵の人は率直に思ったことを書いている。

例えば最近、サードブロガーが云々で荒れた時期があったが、あれはフツーの人たちがこのはてなに入ってきた結果、起こった事件なんじゃなかろうかと思う。はてなって村はどうやら、まじめに考えてまじめに議論するのが大好きなところらしいので、外部からやって来た"フツー"を受け入れられなかったんだろう。

ともかく世の中には、ちゃんと考えて書く(言う)傾向の人と、あんまり考えないで書く(言う)傾向の人がいて、で一般的には後者の人間のほうが多いと、そういうことである。

そもそも思い付きから始まる

そもそもどんな人の中にも率直な部分というのは存在してると思う。

というか、まずはじめにそういう率直な意見が頭の中に浮かんで、それから脚色を加えていくわけだ。意見が浮かんだ後に、ここは流石に言い切りすぎだからマイルドにしようとか、色々考えて推敲をする。その推敲を先に頭の中でやってから文章に落としこむのか、実際に率直な意見を文章にしてから推敲するのか、違いはあるとは思うけど。

だがフツーはそんなことしない。配慮を全くしない、とまでは言い切れないが、さっきのTwitterやブログの話のように、基本的には脳内の発想はそのままアウトプットされる。

お喋りの道具としての言葉

ちなみに、配慮をしないとは言い切れない、ってのはどういうことかというと、自分の声が届いている(と思っている)範囲内の人には多少気を使っている、ってことだ。

たとえばTwitterで何かを呟くとする。するとその呟きは自分のタイムラインに向けて流れて行くわけだ。つまり言い換えれば、自分のタイムライン=観測できる範囲内の人々に配慮して呟いてはいる。ただこれは、逆に言えば観測できる範囲内の人々にしか配慮してないとも言える。

言って見れば彼ら(僕も含め?)は、身内での会話の道具として言葉を使っているのだ。最近のブロガーはお喋りみたいな文章を書く、と嘆いていたやつ前あったけど、この「会話の道具としての言葉」を考えれば分かりやすいんじゃないか。

これは某店長さんの言ってた「うちらの世界」的でもあると思う。

彼らは自分の把握できる範囲内の、自分の言葉を読んでくれる人に向けて"お喋り"するつもりで文章を書くのであって、議論することを想定して文章を書いているわけじゃないのだ。

そしてもちろんお喋りには矛盾や偏見が生じる。

自己の「マルチスタンダード」を肯定する

で急に話は変わるが、最近"思い付いた"のが、「それを悪いと思っている」自分と「悪いけどやりたくなってしまう」自分を同居させることが大事なんだ、ということだ。というか、同居させていていてもいいと思えるようになる。どちらかを肯定してどちらかを否定するのではなく、どちらの存在も肯定することが大事なのだ。

なにもかも正しくあれるわけではない。やらないほうがいいことはある。もちろんある。ただそれを「悪だ」「悪だ」と喚いて、正しさの枠から蹴り落としてしまうのではなく、そういうこともある、と受け入れる。

差別的発言をしない方がいいが、無意識の内に差別的発言をしてしまうこともある。人は一面的ではない。いつでも正しくあれるわけではない。ダブルでもトリプルでもいくらでもスタンダードはあるのだ。一貫性はない。

周囲の「マルチスタンダード」を肯定する

それを自分だけじゃなく、周囲にも適用できたらいいなと思う。というか、自分が自分のマルチスタンダードを肯定できるようになれば、それを周囲の人々にも適用できるようになれるのではないか、なったらいいなあ、と思う。

つまり何が言いたいかといえば、自分の「率直」を許すように、他人の「率直」も許してこうよ、皆心をもっと広く持とうよっていう糞つまらないことなんだけども。

余談

多分こんなこと書いても、真面目な人達は自分の正しさを楯にして思想を曲げなかったりするんだろうけど。

でも少なくとも、議論する気もない人に議論を吹っかけて勝利する、みたいなのはやめたほうがいいと思う。あれは何一つ良いこと無い。

なんとなく書いてた人(議論する気もない人)は、自分の身内ではない、外側の人間から批判を食らうと、拒否反応的なものを起こす。なぜなら彼らは"身内"と"お喋り"をしていただけであって、"公の場"で"議論"をしていたわけではないからだ。そこに真面目でまともな批判を突きつけても、議論になんかならない。

そんな何の生産性もない無駄な議論に時間を費やしても、何の得にもならないだろう。

ああいうの見るたびに、そんなことやったって何にもならないだろ、と思う。