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『レジで「ありがとう」牛丼屋で「ごちそうさま」と言う』とそのブコメを読んで思ったこと

※これはあくまで「そうなったら怖いなあ」という話であって、実際そうなっていると思ってるわけじゃありません。

導入

レジで「ありがとう」牛丼屋で「ごちそうさま」と言う - あざなえるなわのごとし
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特にこのコメントが気になった。

人前で声を出すのが怖い人もいて、そいういう人にとってコンビニとか吉野家みたいな店は必要最低限声を出さなくて済むのでありがたかったりするのであんま責めんとって

恐らくこの人は、ブログ主の一意見――筆者は「ありがとう」「ごちそうさま」を言うようにしているよ、という個人的な意見――が極論に飛躍するのを危惧して、こういったことを書いたんだと妄想した。

あくまで上の記事は一個人の意見である。それが変に拡大されて「ありがとうを言わなければいけない」になるとか、変にひっくり返って「ありがとうと言わないのはおかしい」とかになると怖いわけである。

優先席が嫌い

話は変わるが、僕は電車の優先席が大嫌いだ。
優先席ってのは義務によってモラルを潰してしまった事例だと思うからだ。

今現在、優先席にお年寄りや障害者が優先的に座れるのは、ただそこが優先席という名前になっているから、である。
彼らがいたわるべき存在だから、ではない。

お年寄りや障害者に席を譲るってのはあくまでマナーの問題だったはずなのだ。
優先席の登場が、それを単なる義務に変えてしまった。

何より問題だと思ったのが、あれの存在によって逆に、優先席でないところは誰でも自由に座っていい、言い方を変えるなら、優先席じゃないとこなら障害者や高齢者の方に席を譲らなくてもいい、という空気が作られてしまったこと。

つまり、モラルによって守られていたものを仕切り(義務)で補填しようとした結果、電車内のマナーは消滅し、義務と自由(=好き勝手の方の自由)だけが残ってしまったのである。

まとめ

まとめる。
確かに「ありがとう」「ごちそうさまでした」は言ったほうがいい言葉である。
だがそれはあくまで「言ったほうがいい」にとどめておくべきであって、「言わなきゃいけない」だと、それはもはや義務で、マナーではなくなってしまう。そんなの、やる気のないコンビニ店員が惰性でいらっしゃいませー言うのと変わらない。
そしてマナーが義務に変わることは、その場のモラルを崩壊させてしまうことにもつながりかねない。

「ありがとう」と言ってもいいし、言わなくてもいい。
その中で「ありがとう」を選ぶことに意味があるはずなのだ。

もちろんその中で、モラルに反する行動を取る人もいるだろう。
「ありがとう」「ごちそうさま」と言わない人もいるだろう。
ただそこで「言うのは当然のことなのに…」となるのは少し違うと思うのだ。

また、世の中には「そうできない」人もいる、というのもある。
「ありがとう」が義務になることは、社交不安障害患者がその障害によって「ありがとう」を言えない場合すら、間違っていることになってしまう。

僕が、言わない側の人たちに向けて何か伝えるとするなら、それは「ありがとう」を言うことの大切さや、利点だと思う。
そうじゃなくて、それが当然のことであるとか、言わない人を非難するとかまで行っちゃうのは、ちょっとまずいと思うんだ。

っていう話。