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サブカルブログって程でもない

アニメ、音楽、本、映画、インターネット

小説家はプロのホラ吹きであって専門家ではない

そもそも小説家というのはプロのホラ吹き、プロの文章書きであって、何かの専門家というわけではない。彼ら彼女らが得意なのは、おもしろい嘘を吐くことと、おもしろい文章を書くことであって、何かを評論したり、何かを研究することではない。だから彼らに、専門性が必要な分野において、何かを書かせることには無理がある。

もちろん、専門家でもあり、小説家でもある、というように、両方の分野に精通している人も居る。たとえば、小説家の久坂部羊は、小説以外にも何冊か、医療についての新書を書いているが、その理由としてあげられるのは、とうぜん小説家であることも、「物書きである=文章のプロ」という部分においては大事なことかもしれないが、より重要なのは、彼が「現役の医師」である、という点である。彼は小説家だから、『日本人の死に時』を出版することを許されたわけではなく、医療分野に詳しい人間であるから許されたのである。

そうではなく、単純に小説家である「だけ」の人物を連れてきて、その人物に、小説を書くこと以外の権威を勝手に見出して、専門性の必要なことについて、何かを語らせようとするのは、そもそも間違っている。村上龍が得意なのはホラ吹きであって、彼は経済評論家でもなんでもないのだから、経済について語る必要は全くない。それはもちろん曽野綾子も同様である。

いや、違う。語りたいのならば勝手に語ればいいが、その語りに対して権威を持たせたり、その語りが何らかの説得力を持っているかのような演出をするべきではない。演出というのはつまり、彼らがブログに自分の意見を書くならばいいが、そうではなくメディア、新聞社やテレビがいち記事として掲載してしまう場合、彼らのことばが大衆の目に耐えうるレベルの、ある程度の説得力を持った意見である、ことを示してしまうことになる。いくら文章がうまかろうが、その道のプロではない人間の意見をメディアに載せるかどうか、少しは考える必要があるし、それが影響力を持っているメディアであるならば、なおのこと慎重になるべきだろう。

それでも、どうしても載せたいというのならば、読者投稿コーナーのような、「専門家でない人々の意見」であることが明白になっている場に載せればいいかもしれない。それならば、その意見がまるで専門性のある、説得力のある文章であるかのような印象は薄くなるし、また、その意見があくまで様々な意見の中の一つ、であることも示すことができる。