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性的メタファーは性的なのか

内心の自由を制限することはできない。内心の自由を制限するってのは洗脳とそんなに変わらない。ゆえに制限するとしたら現実世界にあるものそれ自体に制限をかけるしかない。



もし性的な何かを連想させるものをアウト、とすると、あらゆるものがアウトになりかねない。この前男根のメタファーとかいう馬鹿馬鹿しい話があったけども、誰かがそれを何かのメタファーだと認識した途端、アウトな表現となるならば、あらゆる表現がその可能性を免れない。

また、メタファーだからアウトってのは、内心の自由を侵害するとこにちょっと足踏み入れてない? と思うところもある。

例えば有名な話だが、千と千尋の神隠しにおける油屋、あれはソープランドがモデルになっていると言われている。少なくとも宮﨑監督本人はそう言っている。そう考え出すと、油屋で起こる色々な出来事に何らかの性的メタファーが潜んでいるように思えてくる。しかしぱっと見はそんなのわからない。というかわからなくても全然問題がないつくりになっている。

事実、千と千尋の神隠しはゴールデンタイムに流しても問題ないものとして普通に放送されているわけだし、誰もそれをおかしいことだとも思っていない。そしてそのことには何の問題もない。油屋をソープランドだと解釈しないかぎり、あれはソープランドにはならない。別に宮﨑駿の思い通りに深読みする必要はない。

抽象的に言うならば、個人の内心がそれを性的なものに変換しない限り、それは性的なものにはならない。だから乳首が出てるからR-18とか、そういう誰が見てもわかりやすい制限になるわけだ。

そもそも性的なものであるからそれをアウトにしていいのか、って問題はまた別の話。