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君が代を歌う歌わない問題について考えてたらよくわかんなくなってきた

昔書いたけど公開しなかった文章。
イギリスがEU離脱するかしないかのニュースが飛び交ってたときに書いた覚えがある。



君が代を歌う歌わない問題について考えてたらよくわかんなくなってきた。

まず僕は国歌斉唱についてはどうでもいい。大地讃頌と同じくらいどうでもいいし、仰げば尊しと同じくらいどうでもいい。皆大地讃頌仰げば尊しを何らかのイデオロギーを感じて歌ってるわけじゃないでしょ。君が代も同じである。少なくとも僕の中ではだ。一般的に歌いましょうということになってるからそうしているだけ。

それをわざわざ拒否するのって、よほどその人の中に強い「思想」みたいなものがあるからなんだろう。どうしても歌いたくない理由がそこにはあるわけだ。逆に言えば君が代に何らかの思想を感じて歌ってる人もいるんだろうけど、大半はなんとなく歌ってるだけだろう。

でもよく考えたら、大地讃頌もかなり宗教チックな歌なんじゃないかしらと今思った。だって「大地」「讃頌」だよ。神道ってそんな感じじゃなかったっけ。アニミズム。そう、アニミズムだ。君が代が嫌な人は大地讃頌はどうなんだろう。大地讃頌の宗教感は好きだと考えてるのか、僕と同じくどうでもいいと思ってるのか。

まあいいや。少なくとも君が代に関して言えば、すげえ国歌が好きな人と、国歌なんてどうでもいいが歌うことになってるのでとりあえず・・・って人たちが君が代を歌い、それがどうしても嫌な人は歌わないってことだろう。それが多様性ってやつなのかな。わかんないけど。

でもそうなるとさ、単に面倒くさくて歌いたくない人は歌わなくていいのかな。だって、どうしても嫌で歌わない人と面倒臭がって歌わない人を僕たちはどうやって区別つけるのさ。一々歌唱動機みたいなの書かせて振り分けるわけにもいかないだろうし。なんだったらさ、僕も別に歌いたかったわけではないし、やらなくて済むならそれに越したことはないとすら思っている。

つまり、国歌斉唱が全く成立しなくなるんじゃないか。どうしても歌わない人たちとどうでもいい人たちが全く歌わず、本当に歌いたい人たちだけが歌うことになる。

どういうことだ、皆で同じことをやるというシステム自体に問題があるってことなのか。それとも多様性を尊重するシステムがよくないとでも言うのか。