なにもしらない

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いないほうがいいにんげんはいるのか【追記あり】

嫌われ者が誰にも助けてもらえずに死ぬことについて時々考えていたが書かなかった。解決策は何も思いつかなかった。嫌われ者には生きる権利はないのかなと思った。あるいは「どんなダメな人間でも救ってくれる誰かがいる」という幻想によって社会は成り立ってるのかとも考えた。そんなに多様性が大事なら金持ちの住んでる街にホームレスを置いてみろ、という例え話が頭に浮かぶ。治安は間違いなく悪くなる。治安が悪い街には住みたくない。逃げそうだな。やっぱり幻想か。

インターネット上だと「メンヘラからは逃げろ」って意見を山ほど見る。僕は私はあの人と関わりたくないけど、死ねとまでは思っていない。僕は私はやらないけど、きっと誰かがそいつを救ってくれるだろう。では誰が?

これだと性善説すぎるか。多数の人間が「嫌いなやつは死んでいい」と考えてるんだ、と解釈したほうがスッキリする。ただ表向きにはそう言わないだけ。

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やはり世の中には死んだほうがいい人間がいるってことなのか。

西野亮廣は死んだほうがいいか? 少なくとも僕は嫌いだし、僕の視界に入る瞬間が一生来ないでほしい。山本太郎も長谷川豊も。結局僕も同じだ。

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それとも「治療」するか? その人のために金と労力を払ってくれる人間がいればだが。

【追記】
嫌われ者の例えとして、殺人者が刑務所から出てきた際、彼を救ってくれる人間はいるのか、ということを考えている。刑務所から出てきた人間は、そうでない人間に比べてとうぜん現在の社会についての知識は欠けているだろうし、前科持ちであることにより就職においても不利である。つまり社会的弱者と言っていい。かつて加害者であった弱者。この弱者を救ってくれる人間はいるのか。

普段からぼんやりと「弱者を救う」と唱えている人たちは、こういう弱者のことを想定できているのか。こういう弱者を救う覚悟ができているのだろうか。できていないんじゃないか、ということを考えている。