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一年前に別のとこに書いたシン・ゴジラの感想

シン・ゴジラ、まさかあれほど面白いとは思わなかった。どうせストーリーめちゃくちゃになってるんだろ、と少しでも思った自分を殴りたい。すごくちゃんとしてた。ちゃんと感動できた。

なによりゴジラが本当に怖かった。見ている内にどんどん自分があの世界に感情移入していくのを感じた。もう攻撃するのをやめてくれ、と思った。心の底から絶望したし、応援もした(もちろん声に出してはいない)。頼む、頑張ってくれ! と思った。


以下ネタバレを含む====

 

 

 


映画全体の演出について。一言で言うとアニメっぽかった(※)。長回しは一切なし。fix(カメラを固定して撮影)がやたら多くて、カットの数もやたら多かった。人が喋ってるシーンが多く、逆に動いてるシーンは比較的少ない。その分凝った構図の画がじゃんじゃん流れてくる。だから人間の演技というより人形劇的な部分は否めない。まあこれはそういうタイプの映画監督っているよね、ってことで。単に好き嫌いの問題だと思う。

シンゴジラは人形劇のようでダメだって意見は、ウェスアンダーソンの映画は演者の自由度が低い作りになってるから嫌いだってのと似たようなものを感じる。これわざわざ実写でやる意味ないじゃんってツッコミがきそうな。いや別に実写でやってもいいんじゃないですか、という。

ついでに言うと、登場人物に生命が感じられないって意見は、かつて一部の小説で言われてた「人間が描けてない」ってのと大差ないとも思う。

視点の置き方も面白かった。受話器を置かれる電話視点、運ばれる椅子視点、特に印象的だったのはノートPC側から登場人物を眺める視点で、ノートPCの画面の文字越しに登場人物が映されて、様々な人たちがそのノートPCを自分の方に持っていって中身を読んでいくので、カメラがグワングワン動くあの演出。

前半の会議の連続がだるいと書いていた人もいたが、僕にはよくわからなかった。あんだけのキレッキレの編集をだるい? もっとゴジラが出てきてギャーギャー暴れるシーンが欲しかったのだろうか。わからない。僕はあの前半の会議・会議・会議のシーンがめちゃめちゃ好きなのだ。

僕は作品を楽しむ場合において、ディテールを完璧に理解する必要はない、と思っている。何かよくわからないけどプロフェッショナルな何かが行われている・・・と思うことができさえすれば良いのだ。例えば以前オデッセイという映画があった。火星に置いてけぼりにされた主人公ワトニーをどうやって救出するか、そのルートをある一人の天才が考えだし、お偉いさんとこに行って説明する(確かそうだったはず)。説明を聞いても正直なぜそのルートが正しいのかはさっぱりわからないが、ものすごく賢い人が考えた正しい選択であることは伝わってくる。

シン・ゴジラにおける会議シーンでは、複雑で長く早口でテンポの良い会話がどんどん繰り出されるので、聞き取れてなかったりわかりきれないところがちょいちょいあるが、政治家が政治家らしい賢そうな言葉遣いで政治家らしい会議をテキパキとこなしている、ということはわかる。それで充分だと思う。そこにテンポのいいカット割が入ることで見ていてものすごく爽快感がある。むしろ僕が伝えたいのはそこである。爽快感。究極的に言えば、あそこで政治家が具体的に何を話してるかなんてどうでもいい。何だか難しい言葉が高速で飛び交いつつ高速でカットが次々変わっていく、その「変わり方」が気持ち良いのだ。中毒性がある。

もっと言うと、あのむやみに出てくるテロップも全部読む必要ない。なんか新しい人出てきたよ、モノ出てきたよ、肩書き変わったよ、ってことがわかればいいからだ。ゴジラに対し武力行使に出るかどうかを話し合う際、透過で出てくる法律の文面も読む必要ない。ちゃんとそういう法律があるんだよ、ってことがわかればいい。 というかかっこいいでしょあの画。法律について話してる時にその文面が透過で明朝体でドーンて出てきたら超かっこいいでしょ。登場人物が出てくる度に明朝体でテロップドーンで名前出てきたら超かっこいいでしょ。兵器の画の下に明朝体でテロップドーンで名前出てきたら超かっこいいでしょ。もうそういうことでよくない? それでいいよね?