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『すべての見えない光』を読みきれない

とある感情から逃げるために本を声に出して読んでみたりなんなりした結果、感情が割と落ち着いてきた。とある感情とは何か、なぜ感情から逃げたいのかは気にしなくていい。それとは別に寒い時期特有の鬱感情もあるが、それは別に毎年あるやつなので置いておく。


ところで声に出して読んでる本というのが『すべての見えない光』というやつで、本屋大賞とかも取ったらしい(正確には2017年の本屋大賞二位)。まあみんな本屋大賞って日本の小説でしか耳にしないからあんまりピンとこないだろうけど、翻訳小説である。同じく本屋大賞を取った翻訳物で『HHhH』とかも昔読もうとしたけど挫折している。二回。おそらくこれも挫折する。理由は単純。なんたって500ページ以上ある。しかも文字が小さい。


しかも更に問題があるのが、冒頭に言ったように、僕はこの本を「声に出して読んでいる」のだ。これはちょっと想像すればわかることだが、本は朗読するより黙読するほうが圧倒的に早く読める。にもかかわらず喋って読んでいる。僕は機械音声やPodcastじゃないので喋る速度を二倍にできたりしないため、全然進まない。こんだけ読んだのにまだ10ページか、って感じ。


その上さらに問題があるのが、これは問題というかいいことでもあるかもしれないが、文章がむちゃくちゃうまい。

例えば、主人公ヴェルナーが壊れたラジオを修理し、見事復活させ、妹ユッタと喜びを分かち合うシーン。

イヤホンをユッタに渡そうとしたその時、コイルのまんなか、やや下で、雑音のない澄んだ音、弓がバイオリンの弦を動く鮮やかな音が聞こえてくる。彼はつまみを少しも動かすまいとする。ふたつ目のバイオリンが加わる。ユッタがにじり寄る。目を大きく見開いて、兄を見つめている。

 (中略)

 彼はまばたきする。涙をどうにかこらえる。休憩室はいつもと変わらない。二台の幼児用ベッドが、ふたつの十字架の下にあり、ぽかりと開いたストーブの口にはほこりが漂っていき、幅木からは十回も重ね塗りしたペンキがはがれかけている。流しの上には、エレナ先生が刺繍で作ったアルザスの村の絵がある。だが今、そこには音楽がある。まるで、ヴェルナーの頭のなかで、極小のオーケストラが動きはじめたかのように。

 (アンソニー・ドーア『すべての見えない光』、藤井光 訳、新潮クレストブックス、2016年、p.35)

 

むちゃくちゃうまい。むちゃくちゃうまいとどうなるかというと、読みながらガンガン感情移入する。するとお前はミュージカルに出演してるのかってくらい、ってのは言い過ぎだが、感情的になり、小説にのめり込んでいくから、読むスピードは自然と遅くなる。ついでにいちいち頭の中でスタンディングオベーションが起こる。いや、こんなすごい文章読んだらそうなるでしょ普通。そして文章のうまさに溜息をつく。


「そんなことやってるならさっさと続きを読め」

「いい小説なんだからゆったり読みたいでしょ」


すると500ページの壁は別の意味でどんどん分厚くなる。いつになったらこの壁を乗り越えられるのか。