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サブカル系人間はもうサブ(特別)になれないんじゃないか

散々書こうと思って書いてなかったことがある。

サブカル系はもはやマイナーにはなれないんじゃないか、ということ。もしくは誰でもマイナーになれるんじゃないか、とも言える。
どんなに自分が人と違う特殊なものが好きだからといって、それは特別にならないんじゃないか。
(サブカルに興味のない)一般的な人に対して言えば、多分大半は洋楽に興味がない。ブラーもレディオヘッドも聞かない。邦楽でも、YMOは名前は誰でも知ってるだろうが、曲はほぼ聞いたことない人たくさんいるはず。君に、胸キュン。しか知らないとか。電気グルーヴもシャングリラしか聞いたことないとか。
しかしネットというものがその参入障壁を大幅に下げてしてしまった。YMOが聞きたいと思えば、youtubeでカチャカチャっとやればすぐに聴けてしまう。ツイッターを探せば簡単に気になるアーティストの発言を見つけられる。要はファンになろうと思えば、ネットがありさえすれば誰でも簡単になれる。いくらマイナーでも、ネットという中継場を挟みさえすれば知れる。アーバンギャルド嘘つきバービーも。
重要なのは知ろうと思えるかどうか、という気持ちの部分だけ。気持ちさえあれば誰でもサブカル系になれるのだ。
 

ネットの登場によって、テレビによる画一化された情報ではなく、それぞれがそれぞれの情報を集めるようになり、それが今のCD売上に響いてるんだろうが、その話は置いといて、ともかく皆がみな皆違う情報を集められるようになるということは、これはもはや流行なんて存在しなくなってきてるのではないか。いや今の所はまだ流行は存在してるけれど、確実に昔と比べて流行る、大々的に売れるものは少なくなってる。

このままいけば一億総サブカルオタ化社会になっちゃうんじゃなかろうか。そこまでいかなくても、結構な割合の人がサブカル好きになれるんじゃないかなと。するともはやサブカルはサブカルではないメインカルチャーになる。その瞬間、サブカル系人間は、これまで自分たちの個性を作っていた「特別」を失うわけだ。そうして糧を失ったサブカル系人間は、一体どうやって生きていくのだろう。

そもそも今のサブカルオタも大分サブカルって感じじゃなくて、だって簡単にコミュニティ作れちゃうし、それって簡単に自分の周りにたくさんの自分と同じ趣味を持った人を配置できるってことで、もはやマイナーじゃないよね、とも思う。

 

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