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『凪のあすから』について

『凪のあすから』というのは、大人中心の世界に子供が立ち向かっていく話プラス、岡田麿里の特徴であるドロドロの恋愛劇が合わさった作品だ。それが今の時代に合ってる合ってないはひとまず置いといて、彼女の今までの作品の集大成的なものなんじゃないかとは思う。

 
個人的に、これまでで最も岡田麿里が好き勝手やった作品と思っているのが『花咲くいろは』なのだけど、あれは子供のほうがしっかりしていて、基本的に大人が駄目だ。例えばおはなが旅館に送られる理由がまず母親の夜逃げのせいだし。他にも話が進むにつれ、作家としてうまくいかないから自殺しようとする男が出てきたり、映画撮りますよーという甘言に引っかかり、番頭がお金をだまし取られたり、もうだめな大人がワンサカ出てくる。おまけにこの旅館を仕切ってるのが堅物のおばあちゃんという、言わば伝統の塊みたいな人物である。つまり花咲くいろはというのは、喜翆荘という大人の事情の塊、伝統の塊みたいな建物におはなという優秀な子供が飛び込んで、同業の学生達の力なども借りつつ、なんとか世界(喜翆荘)を良い方向に変えよう、と努力していく作品だった。

ただし、たまーーに喜翆荘の外に出ることでおはなの恋模様みたいな個人的な話もあったりするが。

「外に出る→個人的な話になる」ルールの例外としては、おはなたちが修学旅行に行く回がある。この回では、修学旅行先の旅館において、そこにいる若い番頭さんが作った新しいシステムや、システマチックな教育に従業員が反発し辞めてしまう。そのトラブルを解決するため、普段喜翆荘で働いているおはなやなこちやみんちが力を貸す。要は喜翆荘で長年培われた教育方針=伝統にも利点があることを示した回でもある。

だから子供が大人・伝統に立ち向かう話ではあるんだけれども、何もかも伝統が間違っているんではない。良いところもあれば悪いところもあるんだよと。バランスもちゃんと取れているのだ。

 

それを踏まえた上で、今回の『凪のあすから』である。これもいろは同様、子供が立ち向かう話ではある。ただし駄目な大人たちに対峙するというよりむしろ、海と地上の間にまたがる「伝統」「確執」との戦いがテーマになっているようだ。それはそれでいいのだけど、気になるところがいくつかある。

 

一つ目は、世界を引き回してくれるような強キャラが今のところ出てきていないということだ。岡田麿里自身は光(主人公)のことを引き回し役だと言っているが、確かに光はリーダーとして引き回してくれてはいるが、前に進んでいるようには見えない。懸命に藻掻いてはいるが、得られる一歩は非常に小さい。

歴代の岡田麿里キャラで言えば、例えばおはなは最初から強くて、話数が進む毎に更に強くなるキャラだった。じんたんは初め弱いが、弱いうちははぽっぽが仕切り、最終的にじんたんが本気を出し、ハッピーエンドになった。

けれど凪のあすからでは光が強くないし、かといって他に「前向きに」引っ張ってくれるキャラもいない。当然まなかはそういうキャラじゃないし、ちさきは地上や海の事情よりも恋愛重視のキャラだし、要と紡は助言役、脇役ポジションで、積極的に話に関わるわけでもない。*1

 

二つ目は、大人や伝統の力が強すぎて、子供が勝てそうにないところだ。強すぎて、と書いたが、実際には強いというよりも、弱みを見せないと書いた方が正しいのかもしれない。大人たちに、子供らに寄り添って行こう、海と地上を阻む壁をどうにか崩して行こうという意思が欠片も感じられないのだ。

ここまでの段階だと、子供たちは海と地上との確執を徐々に和解させているが、大人たちはそれら伝統や確執を捨てきれず、未だいがみ合いは終わっていない。最近の八話でも、主人公はなんとか子供らをまとめあげ、とうとう海と地上の人々の間に話し合いの場を設けた。しかし肝心の大人のほうは、そんなことなどつゆ知らず、会議なんてどこへやら、いつも通りに喧嘩を始める。余りに幼稚な喧嘩に子供たちは呆然。偉い立場にいる光の父親は、じっと黙って座っている。まるで「わかっただろこれが伝統だよ」と言わんばかりの顔をして。そしてせっかく完成させた海神様も、大人によって再び壊されてしまう。

海と地上の長年の確執に、子供は未だ勝てていない。

 

三つ目。大人側が海と地上の壁は壁のままにしておきたいにしても、その壁が一体どんな利益をもたらしているのか、その裏側が全く見えてこない。つまりはこれから二段変身がやってくる可能性がある、というか絶対あると思う。大人というでかい怪物が倒せていない内に、新たなボスが出てきそうなこの予感が、僕を不安にさせる。

 

もう面倒臭いからまとめちゃうと、要は一向に前に進んでいる感じがしない、暗いものを延々と見せられるのが見ていてしんどいのだ。最初からそう書けよとか言われそうだ・・・。とにかくいつ見ても低空飛行を続けていて、飛び上がっていく感じが全然しない。かと言って、地上と海の確執以外の話、つまり恋愛の話もずーっとドロドロしているため、こころの落ち着く、というか上がる暇がない。その上、その恋愛の話も抜いたサブの話ですら暗い。あっちに行ってもこっちに行ってもシリアスしかないから見ていて辛いし、そのせいで本筋が疎かになり、疎かになるから「より」見ていてしんどくなる。いろはのように、シリアスの中に上手にコメディを織り込んで気持よく見させるみたいな工夫がほしい。

 

なんだか書いてみたらこれだけひどい言い草になってしまったけれど、ちゃんと毎回楽しみに見ています。

1クール目のこれだけの停滞も、2クール目に挽回してくれると信じております。

 

 

あとはオマケ。

ここからどうハッピーエンドに持っていくのかという妄想。

まず考えるのが、光を何とかして成長させること。今のところ大人=悪という構図で話が進んでいるから、どうやったって子供のほうを強くしなけりゃ話はまとまらない。だから光が父親に転ばされても立ち上がり、転ばされても立ち上がりを重ねて成長でも、海にある秘められたスーパーパワーを使って成長でも、とにかく何かしらの成長をして、世界が良い方向に向かっていける様にまとめる。

もっと言えば、光だけじゃなく、まなかやちさきや要や、クラスの生徒さえ巻き込み、コミュニティの力で伝統を乗り越えていくか。

 

それでも駄目なら、海の人の数は減っていっているみたいだから、このまま海の女が地上の男と結婚していって海が自然消滅するとか。ただしこれだと尺が足りないだろうし、何よりもはや青春でもなんでもない話になってしまう。

 

ともかくとして、大人側から、このシステム(伝統)の重要さを子供に伝えたり、または大きな現象としてそれが示されることは必ずあるだろう。*2そうなった時に子供がどう乗り越えていくのか、乗ることを諦めるのか、その辺が今後重要になってくるのは確かだ。

*1:ここらへんまで書いたところで、凪のあすからというものは、大人に立ち向かうだけの話じゃなく、そこに集団内での恋愛模様も絡めていく話なのかな、と思いはじめた。たとえばいろはだと恋愛模様はあったけれど、別にドロドロな感じではなかったし、あの花は出来る限り大人の都合を排除した話になっていた。父親も優しかったし。

*2:その例の一つとして、現に八話の最後で、海でしか降らないはずの温み雪が降る、という現象が起こった。