なにもしらない

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僕はブログに嘘を書いているんじゃないか

嘘を書くなら責任を持てとか、嘘に騙されながらも僕らは生きるのだとか、色々な人が色々なことを言っているけれど、僕はまた別のアプローチで行きたいと思う。

僕はいつも嘘を書いているんじゃないか、という迷い? に苛まれる。

例えば何かに対して言いたいことが見つかって、ブログに書くとする。で、書き始めると、最初は結構ノリノリで筆を進めてたりもするんだけども、進めば進むほどに「俺本当にこんなこと思ってたっけ」と自分の言葉に疑問を感じ始める。結果、没にしてしまうことがかなりある。

それは書きながらに生み出した理由だとか論理に、感情がリンクしきれていないと感じてしまうことが原因だと思っている。

特にこれはサブカルチャー系の感想を書くときに顕著で(ブログタイトルにサブカルって入ってるのに)、あるアニメ、アルバムを好きになったならば、確かにそこには好きなポイントやら理由やらがあるはずなのに、それらをアウトプットすればするほど「好き」の自信が失われ、最悪「そもそもこれ好きだったのかな・・・」と不安を覚えるところまで行ってしまう。

何かに対して何かを感じる時、それは文字通り「感じる」のであって、そこに論理はなかったはずなのだ。だから書けば書くほどそう感じている理由の「後付け感」に耐えられなくなってゆく。

 

ところで、最近『行動経済学 経済は「感情」で動いている』というタイトルの新書を読んだのだが、最後の章に、人間は基本的に感情が先に来て、論理というのは後付けのものでしかないのかもしれないみたいなことが書いてあった。

これが学問的に正しい意見かどうかはさておき、論理よりも感情が先というのは結構しっくり来る。

音楽を聞き、映画を見、本を読む、それら全てにおいて最初に頭の中に浮かぶのは具体的な言葉ではなく、素晴らしい美しいきれいかわいい楽しい面白いなどの、主観的な感情である。もっと言えば、今言葉で書いちゃったからアレだけども、言葉で表せないような更なる根源的なものを感じているのかもしれないが。

どちらにしろ、僕はこれらの感情を出発点にして、色々な理由やら論理を考えて文章を書くわけだ。ここで「理由を考える」というのはつまり、相手にわかりやすく伝えるため、また説得力を持たすために頭の中の思いを言葉に変換する行為である。ただ僕は上手に変換ができているのか、いまいち自信がない。果たして変換ができているのか、ただ変化させているだけじゃないのか。もし変化させているだけなら、それは自分の言葉なのか。そこに自分の感情は存在するのか。

僕は自分が思ってもいないこと、つまり嘘をブログに書いているんじゃないか。わからない。

という悩み。