自殺防止のキャッチコピー見てて思うんですけど「家族や友達を悲しませないで」系が多くてあほらしいなあって。死ぬときぐらいもっと自分のこと考えさせてくれてもいいのに。「もう一度食べたい味はありませんか」とか「もう一度嗅ぎたい季節はありませんか」とか、そういうののほうが自殺減りそう。
— ミツビシ (@mitsubisi) 2014, 4月 19
この「家族や友達を悲しませないで」の何が問題なのかといえば、後のことを全然考えていないことだと思う。
死のうとしている人が、このコピーを見てなんと思うかといえば、それは「人に迷惑をかけないために死なない」であって、「積極的に生きよう」ではない。これを読んで自殺をやめた後どうなるか、心臓は動いているが、脳みそも動いているが、こころは動いていない、と、死んではいないが生きてもいない、そういう状況に陥ることしか僕は想像できない。例えて言うなら、家族や友達を人質に取られて、彼らを苦しめたくないなら生きろ! と言われているようなものだ。それは自殺を止めるという一点においては確かに有効なのかもしれないが、この人が生き残った後においては、人生を苦しめるものにしかならないだろう。
後のことを考えていない、でもう一つ思い出した。
「親が子供のゲームを隠す」問題についてだ。
マフィア梶田氏(@mafia_kajita)のツイートをキッカケに、いろいろな人が「隠されたエピソード」を語っている。
これの何が問題なのかといえば、さっきと同じく、後のこと全然考えてないってことだ。
大半の場合、勉強をしないでゲームばかりやっていること、がゲームを隠される原因になっていると思う。そこでゲームをやめさせるためにゲームを隠す、ここまではまあ、手段としてはわからなくもないんだけど。ただしかし、隠した後何をするのかといえば、いつも通りのことしかしない。後のこと全然考えてないのだ。
ゲームを隠すことによって得られるのは、ゲームをしなくなる(できなくなる)という結果だけである。それだけじゃ意味が無い。本来、その後に考えなくちゃならないのは、どうやって子供に勉強をさせるか、のはずだ。にもかからわず、なんでか分からないが、ゲームを取り上げさえすれば、子供が自動的に勉強をやり始める、とでも思っているかのように、親はいつも通りに怒っていた覚えがある。
じゃあどうすれば勉強すんのか、と言われてもわからないが、とにかく言いたかったのは、その「後先考えてない感じ」に今更気づいてびっくりした、という、ただそれだけのことです、はい。