なにもしらない

アニメ、音楽、本、映画、ゲーム、インターネット

多重人格

アニメ『すべてがFになる』を見た後ツイッターを眺めてたら、あの時犀川先生が言ってたのはもしかしたらこういうことなのかもしれないな、と思った。

とあるツイッターユーザーがサブ垢を持ってたことが判明して、しかもそのアカウントではメイン垢とは違う立場に立って主張をしてたそうで、色々と批判を受けているみたいだ。

すべてがFになる』の主人公?である犀川先生は、真賀田四季の多重人格について「純粋」だと言った。ほんらいはそうあるべきなんじゃないか、と。

元々人はいろんな思想を持っているのにもかかわらず、大人になるにつれ次第にそれをなくそうとする。統一感のある人間を目指そうとする。だからたとえば一人の人間の発言に矛盾が見られた場合は、当然批判にさらされることになる。それは一般的に言えば確かに正しい。しかし人間としてそれは不自然なのではないか。様々な人格、考えを自分の中に持つことこそが、本来の人間のあり方なのではないか。

デジタルネイティブ世代は複垢を持つことが割と普通らしい。世代ではない僕には複垢を作るって発想がどうしてもできない。だからいろんな場所に一つのアカウントを作っているわけだ(hatenaもその一つ)。けれども彼らにとっては普通のことなんだろう。そしてそれは、本来的には自然なことなのかもしれない。