なにもしらない

アニメ、音楽、本、映画、ゲーム、インターネット

恥ずかしいセリフを禁止しない

かつてARIAを見ていて(読んでいて)癒やされつつも思っていたことは、これは恥ずかしいセリフにツッコミを入れる作品ではないんだな、ということだった。確かに物語内では、メインキャラクターの一人(藍華)が主人公(灯里)のポエムな発言に対していちいち「恥ずかしいセリフ禁止!」とツッコミを入れている。しかしそこに感情移入するとコメディになってしまう。一応この作品は「未来形ヒーリングコミック」というキャッチコピーが付いているわけで、つまり癒されることを目的として読むものだと思う。だからこの漫画を心から楽しもうとするならば、藍華の繰り出す「現実」ではなくて、灯里の発する「理想」に全力で乗っかった方がいい。そしてそのためには灯里的な心理状態を自分の中に作っておく必要がある。そうすれば、灯里の見つける(常人には見つけることのできない)美しい、素晴らしい世界を全力で受け止めることができる。かつてARIAの面白さが全くわからないと言った友人がいたのだが、僕の考えでは灯里的なピュアさを自己の中に見出すことに対して照れがあったり、嫌悪感を持っていたからではないかと思っている。あるいは端から彼の中には灯里的なピュアさ、もっと言えば天野こずえ的なピュアさが存在していなかったか。当然そういう人もいるだろう。皆が皆あの世界を受け入れられるわけではない。

そして実際、続編のあまんちゅ!では恥ずかしいセリフを禁止するキャラがいなくなる。読者がツッコミ役に回ったのだ、と言っている人もいるが、僕はそうは思わない。元々ツッコミ役なんて必要なかったのだ。天野こずえ作品というのはそういうものだ。