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短篇集『五月の雪』感想

『五月の雪』という短篇集を読んだ。

短篇集ではよくある、話が繋がってるようで繋がってないような、でも繋がってるタイプなんだが、特徴が三つあって、一つは作者の経験を元にしたフィクションであること、二つ目は全て家族にまつわる話であること、三つ目はソ連からロシアに移り変わり現代に至るまでが舞台になってること。

どういうことか。この人はロシアのマガダンという町で生まれ育ったのだが、その町での暮らしがこの小説の原点になっている。だから舞台はほぼマガダン。といった感じで原作はロシアの話。ただしことばは英語で書かれてる(らしい)。なんでかというと作者はロシアからアメリカに移住した人であり、なおかつこれはあとがきに書いてあったが「ロシアで出版するほどのロシア語は使えない」。だから作中でも最終的にはアメリカに住んでる。オチのネタバラしちゃっていいのと言われるかもしれないが、この小説短篇集というのもあり、時系列がバラバラなのであまり問題ない。あくまで最終的ってのは時系列的な意味でってことだ。それがよくわかる点として、短篇一つ毎、タイトルの下に年号が書かれている。たとえば一番最初の『イタリアの恋愛、バナナの行列』が1975年、次の『皮下の骨折』が2012年、三つ目の『魔女』が1989年、といった感じ。(ちなみにアメリカに住んでる下りは二つ目の『皮下の骨折』内で出てくる。ただ、その短篇はアメリカの自宅で昔を思い出してる話なので、実際のアメリカでの暮らしについては語られない)

話を本題に戻す。この小説ロシアが舞台になってるだけあって、ずっと寒い。そりゃそうだろと言われるかもしれないが、気候的な寒さだけではなくて、物語自体も寒々しいというか、雰囲気がとにかく暗い。大体誰かが酷い目に遭う。遭いかたは人それぞれ、遭う人もさまざま、程度も違う。だからほんとに読んでて悲しくなってしまう。なんだけど悲しいからページめくるのやめちゃおうとはならない。なぜかと言えば、うーん、ロシアの日常ってあんまり想像つかないじゃん。特にソ連からロシアに移り変わる時代なんて、エラい人がエラいことをやってたっていうレベルの(頭が悪くて申し訳ない)、そういうぼんやりとした大きな話としてしか捉えられてなかったから、その上でこの小説を読むと、あの国にも人間がいて普通に暮らしてるんだな、という超当たり前のことに気付かされて、もっと知りたい、と興味をそそられて読んでしまうのだ。たとえば一番読んでいて辛かったのが『イチゴ色の口紅』という短篇で、これは自分の一番好きな男が他の女に取られてしまい、しかたなく選んだ軍人の男と結婚した結果、実は賭け事が大好きな男だってことが判明して…という話。悲しいは悲しいんだけど、あくまでその悲しさは日常的な悲しさであって、突拍子もないことが起こったりはしない。その普通さがとてもいい。『この世界の片隅に』が戦争にも日常があることを教えてくれたみたいな感動がこの小説にもある。僕はだけど。頭の良い人(ロシア研究してる人とか)が読んだらまた違った感想になるのかな。

五月の雪 (新潮クレスト・ブックス)

五月の雪 (新潮クレスト・ブックス)