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ゆるキャン△一話の感想と与太話

ゆるキャン△の一話を見てすごく感動したのは、これが僕が聞いたことのあるいわゆるアニメーションの構成のコツ、作り方のコツだと思ったからだ。

24分のアニメがあって、そのすべてでカロリーの高い、情報量の多いアニメーションを見せ続けられるのは視聴者にとって苦痛というか、単純に見ていて疲れてしまう。だから視聴者が最後まで作品を見続けられるよう、適度に力を抜いて、情報量をコントロールする必要がある。つまりどこが一番見せたいところなのか、どこがそうでもないところなのか、メリハリをつけて見やすくする必要がある。それが、僕が知ってるいわゆるアニメーションの作り方だった。

ゆるキャンというアニメは、京アニみたいに全編異様な滑らかさと情報量を視聴者に与え続ける、パワーのある作品ではなくて、そういう意味で「入りと抜き」がしっかりあるアニメだったので感動した。だから見ていて本当にストレスがないし、心地よい。

とりわけ一話で一番大事なのは、これがどういうアニメかっていうところを端的に示すこと、つまりこれがゆるくキャンプをするアニメなんだよってことをちゃんと伝えることである。言い換えると、いわゆる作画的なポイントとしては、あの主人公じゃない背の小さい女の子がキャンプをする様子、それを事細かに表現することが大事だ。だから一話の作画的な見所が「テントをどうやって組み立てるのか」の描写になっている。キャンプにおける、一番わかりやすく、キャンプ的なシーンをなめらかなアニメーションで見せ、加えてそこに出てくるキャンプ道具、小物の作画にもこだわりを見せる。

逆にそれ以外の、例えば冒頭の自転車のシーンはほとんど作画的に動かしていない。トンネルを通ってキャンプ場まで行き、キャンプの手続きをするまでのくだりを枚数を割かずにほとんど間とカットの切り替えだけで見せている。あれは監督さんの工夫によるものだろう。

ちょっと失礼かもしれないが、このアニメってオープニングアニメーションもそうだし全体的なアニメーションの感じもそうなんだけど、あんまり予算があるようには見えない。だからその中でどうやって工夫して感動させるか、視聴者を最後まで釘付けにするかみたいなことが凄く考えられてる感じがする。

 

ここからは余談。

本職のアニメーターの人にとってはこんな与太話「何を適当なこと言ってんだお前」と言われるかもしれないが。

最近アニメが厳しい厳しいみたいなことを言われているけど、唯一その中で希望を抱いているのは、もっとキャラデザがシンプルになったり、あるいはこのゆるキャンのように、作画のカロリーをコントロールする、入りと抜きのハッキリした、以前のようなアニメーションが復活するんじゃないかっていう、そういう希望的なものを持っている。なぜなら単純にその方が作る方も楽だから。

例えば以前ヤマノススメセカンドシーズンを見たときに、これからは15分アニメが流行るんじゃないかってちょっと思っていた。なぜなら単純に15分なので、普段より早く作れる。スケジュール管理が楽になる。そしてその分作画監督なりメインアニメーターなり監督なりの個性が出しやすくなっていいんじゃないかなと思ってた。実際ヤマノススメセカンドシーズンはそういうアニメだったから。と思ってたけど結局全然流行らなかった。

その代わりに2018年、ポプテピピックが24分の予算を使って12分アニメを作ってしまえと、そしてそれを再放送して24分にしてしまえばいいじゃないか、という無茶苦茶な、あまりにも無茶苦茶な、確かに誰も考えつかなかったけれど、確かに発明っちゃ発明だけど、だからといって誰も真似できないようなことをやってきてとてもびっくりした。アニメの将来については全然わかんないけど、少なくともあのフォーマットだけは流行らないと断言できる。