人って普通は死にたいと思ってないのだ。
世の中は人が死にたいと思わない前提に成り立っているんだ。
こんな当たり前のことに何故気がつかなかったのか。
なぜ人は簡単に死ねとか暴言を吐けるのか、それは死にたいと思う人間なんて普通はいないと思っているからだ。
なんで僕は生きているんだろう、とか考えるのは普通ではない、という言い方はいやだけど、なんていえばいいのか、他の人にとってそれは不思議なことなのだ。
生きたいというのは生き物としては当然のことなのだ。なぜ自分は生きたいのか、動物にそんなことを聞くのはなんてバカバカしいんだろう。生き物なんだから生きるのは当たり前だ。そういう本能なんだからそうするに決まってる。なんでお前は食事を取るのか、それが生き物としての本能だからだ、なぜお前は眠くなるのか、それが生き物としての本能だからだ。むしろ生きるというのは食事やら睡眠やらそういうものよりも更に根元的な欲求であり、それを否定するのは生き物として普通ではない。だから病気ということになるわけだ。
なんで死ぬ気で頑張れなんてことが言えるのか、普通は死ぬ気にならないからだ。なんでブラック企業は精神的に負荷をかけすぎても平気な顔ができるのか、それは身体じゃなく心の動きが死をもたらすなんてことはまずないだろう、と鷹をくくってるからだ。
死にたいと思うことは普通ではない。普通ではないというか、一般的ではないというか、そういうのよりももっと根本的な話だ。生き物の本能として本来無いことなのだ。
最近日本の若者がセックスしないということが世界的なニュースになったが、それも同じような理由だろう。動物の本能として、特に一年中発情期なはずの人間として、セックスしないなんて発想はできないんだろう。
僕がポジティブ野郎のポジティブ全開のポジティブ啓発論を全く理解できないのは、そいつらが死ぬか生きるかではなく、生きるということを前提にどう生きるかという話をしてるからだ。そんな奴らの話をどう分かれってんだ。
僕が知りたいのは、どう生きるかじゃなく、死ぬ/生きるの選択肢がある中でなぜ「生きる」ほうを選ぶか、だ。
それを見つけなきゃいけない。