サブカルブログって程でもない

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いないほうがいいにんげんはいるのか

嫌われ者が誰にも助けてもらえずに死ぬことについて時々考えていたが書かなかった。解決策は何も思いつかなかった。嫌われ者には生きる権利はないのかなと思った。あるいは「どんなダメな人間でも救ってくれる誰かがいる」という幻想によって社会は成り立ってるのかとも考えた。そんなに多様性が大事なら金持ちの住んでる街にホームレスを置いてみろ、という例え話が頭に浮かぶ。治安は間違いなく悪くなる。治安が悪い街には住みたくない。逃げそうだな。やっぱり幻想か。

インターネット上だと「メンヘラからは逃げろ」って意見を山ほど見る。僕は私はあの人と関わりたくないけど死ねとまでは思っていない。僕は私はやらないけどきっと誰かがそいつを救ってくれるだろう。では誰が?

これだと性善説すぎるか。多数の人間が「嫌いなやつは死んでいい」と考えてるんだ、と解釈したほうがスッキリする。ただ表向きにはそう言わないだけ。

www.asahi.com

やはり世の中には死んだほうがいい人間がいるってことなのか。

西野亮廣は死んだほうがいいか? 少なくとも僕は嫌いだし僕の視界に入る瞬間が一生来ないでほしい。山本太郎も長谷川豊も。結局僕も同じだ。

p-shirokuma.hatenadiary.com

それとも「治療」するか? その人のために金と労力を払ってくれる人間がいればだが。

The Lemon Twigsが最近お気に入り

インターネットで誰かが紹介している音楽や音楽や映画は基本的に自分の日記帳にメモっておくのだが、この前日記帳をパラパラとめくっていたら「lemon twigs」と走り書きがしてあって何だこれと思った。その上にはインターネットのPR記事に【PR】とつけるべきかどうかに関する自分の意見が書かれていた。更にその上には(そして前のページには)町田康の新作小説が読みたいという話が延々。

まあとにかく重要なのはlemon twigsだ。とりあえずインターネットで検索する。(以下wikipediaより引用)

ザ・レモン・ツイッグス (The Lemon Twigs) は、ブライアン、マイケルのダダリオ兄弟を中心としたアメリカのポップ/ロックバンド。ニューヨーク州ロングアイランド出身。

どうやら正式名称はThe Lemon Twigsというらしい。

2015年にイギリスのインディー・レコードレーベル4ADと契約し、2016年10月、フォクシジェンのジョナサン・ラドープロデュースによるデビュー・アルバム『ドゥ・ハリウッド』をリリースした。

2015年デビュー! 新しいぞ。僕は新しもの好きなのだ。小説も新しければ新しいほど良いし、古本屋に行ってもできるだけ出版年が新しいものを選ぶ。そっちのが印刷がちゃんとしてるし文字も大きいし読みやすいから。歴史的価値に興味はない。

で、早速Apple Musicで聴いてみたんだがこれがめちゃくちゃいい。

はじめの印象としてはリバイバルである。古い曲を若者が改めてやってみました的な感じだ。たしかにそう。表面的に言えばそうなんだけど、にしてはメロディが良すぎる。その上、力が抜けている。自然だ。

なにより重要なのが聴いててめちゃくちゃ楽しいことである。テンポもコロコロ変わる。楽器もたくさん入ってくる。それがカッコつけるためじゃなく、客を喜ばせようとしてそうしてる感じがする。曲を構成するなにもかもがポップだ。だから嬉しくなってアルバム何周もしてしまう。

lemon twigsとメモした俺、よくやった! そしてオススメしてくれたインターネットの誰か、ありがとう!


The Lemon Twigs - As Long As We're Together


The Lemon Twigs - These Words

短篇集『五月の雪』感想

『五月の雪』という短篇集を読んだ。

短篇集ではよくある、話が繋がってるようで繋がってないような、でも繋がってるタイプなんだが、特徴が三つあって、一つは作者の経験を元にしたフィクションであること、二つ目は全て家族にまつわる話であること、三つ目はソ連からロシアに移り変わり現代に至るまでが舞台になってること。

どういうことか。この人はロシアのマガダンという町で生まれ育ったのだが、その町での暮らしがこの小説の原点になっている。だから舞台はほぼマガダン。といった感じで原作はロシアの話。ただしことばは英語で書かれてる(らしい)。なんでかというと作者はロシアからアメリカに移住した人であり、なおかつこれはあとがきに書いてあったが「ロシアで出版するほどのロシア語は使えない」。だから作中でも最終的にはアメリカに住んでる。オチのネタバラしちゃっていいのと言われるかもしれないが、この小説短篇集というのもあり、時系列がバラバラなのであまり問題ない。あくまで最終的ってのは時系列的な意味でってことだ。それがよくわかる点として、短篇一つ毎、タイトルの下に年号が書かれている。たとえば一番最初の『イタリアの恋愛、バナナの行列』が1975年、次の『皮下の骨折』が2012年、三つ目の『魔女』が1989年、といった感じ。(ちなみにアメリカに住んでる下りは二つ目の『皮下の骨折』内で出てくる。ただ、その短篇はアメリカの自宅で昔を思い出してる話なので、実際のアメリカでの暮らしについては語られない)

話を本題に戻す。この小説ロシアが舞台になってるだけあって、ずっと寒い。そりゃそうだろと言われるかもしれないが、気候的な寒さだけではなくて、物語自体も寒々しいというか、雰囲気がとにかく暗い。大体誰かが酷い目に遭う。遭いかたは人それぞれ、遭う人もさまざま、程度も違う。だからほんとに読んでて悲しくなってしまう。なんだけど悲しいからページめくるのやめちゃおうとはならない。なぜかと言えば、うーん、ロシアの日常ってあんまり想像つかないじゃん。特にソ連からロシアに移り変わる時代なんて、エラい人がエラいことをやってたっていうレベルの(頭が悪くて申し訳ない)、そういうぼんやりとした大きな話としてしか捉えられてなかったから、その上でこの小説を読むと、あの国にも人間がいて普通に暮らしてるんだな、という超当たり前のことに気付かされて、もっと知りたい、と興味をそそられて読んでしまうのだ。たとえば一番読んでいて辛かったのが『イチゴ色の口紅』という短篇で、これは自分の一番好きな男が他の女に取られてしまい、しかたなく選んだ軍人の男と結婚した結果、実は賭け事が大好きな男だってことが判明して…という話。悲しいは悲しいんだけど、あくまでその悲しさは日常的な悲しさであって、突拍子もないことが起こったりはしない。その普通さがとてもいい。『この世界の片隅に』が戦争にも日常があることを教えてくれたみたいな感動がこの小説にもある。僕はだけど。頭の良い人(ロシア研究してる人とか)が読んだらまた違った感想になるのかな。

五月の雪 (新潮クレスト・ブックス)

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