サブカルブログって程でもない

アニメ、音楽、本、映画、インターネット

「他人の人生を批評するのをやめろ」

あまり気分の良い文章にならなかった。


ここ一週間インターネットで積もりに積もった何かが爆発した。「他人の人生を批評するのをやめろ」という言葉が浮かんだ。生活を批評したくない。大勢が日常を書くブログでこんなこと言うのもあれだけど生活を批評したくない。生活における不満とか不満の解消とかそういうコンテンツを見たときに、それが正しいことなのかどうか考えたくない。家族内でうまくいってません、個人でうまくいってません、なるほどあなたにはこんな問題があるんじゃないか、夫に奥さんに子供にこんな問題があるんじゃないか、あるいは僕は私はこういう方法を使って解決しました、なるほど素晴らしい解決策だ、素晴らしい素晴らしい、いやそれは解決になっていない、新たな問題を生んだだけじゃないか、解決したと思っているのはあなただけ、相手はそう思ってないんじゃないか、どうでもいい、ほんとうにどうでもいい、知るか、うるさい、だまれ、何で他人の生活の正しさを評価できると思ってるのか、何様だ、お前は何様だ、僕は何様だ、神様にでもなったつもりか、責任も取れないのに相手の情報も大して知らないのに何でそんな、偉そうに、ああ腹が立つ、自分に腹が立つ、評価をやめられない自分に腹が立つ。生活に正しいもクソもあるか、生活はただ成立しているかしていないかだけだ、それ以上でも以下でもない。人格が極めて素晴らしい人間だけで構成される生活こそが正しいのか、そんなわけあるか。そうだろ、あらゆる種類の生活が、男だろうが女だろうが、LGBTだろうがそれ以外だろうが、ミュージシャンだろうがアイドルだろうが五体不満足だろうが、人間は生きてる、同じ生活なんてありえない、正しい生活なんてない。DVはどうなんだ、虐待はどうなんだ、うるせえそれはただの犯罪だ、僕の評価なんか要るか。

 

僕は物語の登場人物がクズかどうかで物語の面白さを判断したくない、さくらももこのエッセイをさくらももこの性格の悪さによって否定したくない。何も、一切何も考えずにただ楽しみたい。ただそれだけなんだ。

君が代を歌う歌わない問題について考えてたらよくわかんなくなってきた

昔書いたけど公開しなかった文章。
イギリスがEU離脱するかしないかのニュースが飛び交ってたときに書いた覚えがある。



君が代を歌う歌わない問題について考えてたらよくわかんなくなってきた。

まず僕は国歌斉唱についてはどうでもいい。大地讃頌と同じくらいどうでもいいし、仰げば尊しと同じくらいどうでもいい。皆大地讃頌仰げば尊しを何らかのイデオロギーを感じて歌ってるわけじゃないでしょ。君が代も同じである。少なくとも僕の中ではだ。一般的に歌いましょうということになってるからそうしているだけ。

それをわざわざ拒否するのって、よほどその人の中に強い「思想」みたいなものがあるからなんだろう。どうしても歌いたくない理由がそこにはあるわけだ。逆に言えば君が代に何らかの思想を感じて歌ってる人もいるんだろうけど、大半はなんとなく歌ってるだけだろう。

でもよく考えたら、大地讃頌もかなり宗教チックな歌なんじゃないかしらと今思った。だって「大地」「讃頌」だよ。神道ってそんな感じじゃなかったっけ。アニミズム。そう、アニミズムだ。君が代が嫌な人は大地讃頌はどうなんだろう。大地讃頌の宗教感は好きだと考えてるのか、僕と同じくどうでもいいと思ってるのか。

まあいいや。少なくとも君が代に関して言えば、すげえ国歌が好きな人と、国歌なんてどうでもいいが歌うことになってるのでとりあえず・・・って人たちが君が代を歌い、それがどうしても嫌な人は歌わないってことだろう。それが多様性ってやつなのかな。わかんないけど。

でもそうなるとさ、単に面倒くさくて歌いたくない人は歌わなくていいのかな。だって、どうしても嫌で歌わない人と面倒臭がって歌わない人を僕たちはどうやって区別つけるのさ。一々歌唱動機みたいなの書かせて振り分けるわけにもいかないだろうし。なんだったらさ、僕も別に歌いたかったわけではないし、やらなくて済むならそれに越したことはないとすら思っている。

つまり、国歌斉唱が全く成立しなくなるんじゃないか。どうしても歌わない人たちとどうでもいい人たちが全く歌わず、本当に歌いたい人たちだけが歌うことになる。

どういうことだ、皆で同じことをやるというシステム自体に問題があるってことなのか。それとも多様性を尊重するシステムがよくないとでも言うのか。

ポケモンGOが超流行っていた時に書いた文章

東京に行って東京の公園を巡りつつポケモンをゲットしようと思っていた。しかし様々な公園がポケストップを停止してくれと言っているようだ。僕が行く前に僕の行きたい場所が制限されていく。どうしようもない。

ゴミをポイ捨てする人が出てるらしい。物を壊す人も出てるらしい。車を路駐する人も出てるらしい(これは名古屋の公園だったっけ)。僕はそういう迷惑行為、したことがない。そいつが迷惑行為をするのを止める勇気が僕にはない。

単純に人が増えたからその分おかしな人も増えた、と考えるのが妥当だろう。

ポケストップを除去したらあとで後悔するぞ、というようなことを言っている人もいた。それはポケモンGOが地域内で一種の社会的脅威になっていることを正当化するものではない。「いずれ少なくなる」? いずれ少なくなることは今の脅威とは関係ない。"今"困ってるんだから。

東京に行くことで僕は"迷惑なポケモンGOユーザー"の一人としてカウントされてしまう。これはものすごく理不尽だ。僕はメディアで批判されるような迷惑行為をしていないわけだから。けれども単純に「人が集まること自体が迷惑である」という話なら、その通り、見事僕は"迷惑なポケモンGOユーザー"の仲間入りを果たすことになる。

昔アニメオタクはアニメを見ているただそれだけの理由で差別されてきたらしいが、今度は歩いているだけで差別される。立ち止まってスマホの画面を下から上に動かしていると差別される。