僕'「あいまいなものなど無くなってしまえばいい。かつてグラスリップというアニメがあった。サンキュータツオ氏はあれを、アニメで純文学をやろうとした挑戦的な作品、と言ったが、とてもそうは思えない。視聴者を無視した作品は単なる自慰行為に過ぎない(実際全然売れなかったのだ)。そもそもとして、わかりやすさを放棄した作品が読まれない、観られないのは当然のことであり、故にそれらは淘汰されても仕方のないものである。そういう選択をしたのは作り手自身であるからだ。ところで、この間読んだ『アーサーとジョージ』は(エンタメとして)完璧な小説だと感じた。ああいう作品こそ残っていくべきであるし、実際残っていくのだろう」
僕''「あいまいなものこそ残すべきである。わかりやすさ、正確さよりも大事なことがある。『文学会議』という小説がある。あの小説において、正確性は大して重要ではない。とんでもない描写が積み重なる。ストーリーはめちゃくちゃだ。しかしながらそのとんでもない描写自体に味わいがある。それは単なる計算では到達できない素晴らしいものである。わけのわからないものの素晴らしさ、頭でっかちではなく心で感じることのできるもの、悲しみとも怒りとも、どの感情ともリンクしない感動を得ること、それは人間の生活をより豊かにするものである」
僕'''「別にそんな極端なことを言わなくても、わかりやすいものもあいまいなものも、どちらも共存したって良いのではないか。エンタメにはエンタメの良さ、アートにはアートの良さがあるはずで、どちらか片方を取らなくてはいけないというのがそもそも間違っている。『アーサーとジョージ』も『文学会議』もどちらも面白い、それでいいではないか」
僕''''「AにはAの良さ、BにはBの良さがあるので・・・・・・のような、全方位外交的態度を取ることに何の意味があろうか。僕は評論家でもなんでもない。ただの一般人が何を好きになろうが嫌いになろうが自由であるはずだ。自分の言いたいことを言えばいい。ポップスが好きならポップスが好きといえばいいし、インディーロックが好きならそう言えばいい。メタルが嫌いならメタルが嫌いと言えばいい。その自由をなぜみすみす捨てようとするのだ」
僕「・・・・・・(無言)」
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