なにもしらない

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正解を決めるのやめろ

初デートはどれぐらいのレベルの店に行くのが正しいとか、割り勘するのが正しいとかしないのが正しいとか、結婚生活はどうするのが正しいとか、例えば家事分担はどうとか子育ての仕方はどうとか、そもそも恋愛においてどういう人間を選ぶのが正しいとか、そういう「正しい教え」みたいなものに対する反発がずっとある。人間の思想を窮屈にさせようとしてる。人間の多様性を否定している。かかあ天下の家庭があったっていいし、亭主関白の家庭があったっていいし、バランスした家庭があったっていいだろう。僕がどういう日常を送るか決める権利は僕にあるし、何が幸福なのか決める権利も僕にある。だから絶対にそういう「正しい」意見には乗らないし乗りたくない。生活はただ成立しているかしていないかだけだ。

「そんなこと言ってるとモテないよ」
「はあ、そうですか」

結局何が言いたいんだろ、正しい◯◯みたいなことを言う人間を見るとお前これから絶対に「多様性」って言葉を使うんじゃねえぞ、と思う、という話ですかね。

マニフェストダイバーシティとか言っときながら排除って言葉を使った小池百合子と何が違うんだっていう。

The Lemon Twigsが最近お気に入り

インターネットで誰かが紹介している音楽や音楽や映画は基本的に自分の日記帳にメモっておくのだが、この前日記帳をパラパラとめくっていたら「lemon twigs」と走り書きがしてあって何だこれと思った。その上にはインターネットのPR記事に【PR】とつけるべきかどうかに関する自分の意見が書かれていた。更にその上には(そして前のページには)町田康の新作小説が読みたいという話が延々。

まあとにかく重要なのはlemon twigsだ。とりあえずインターネットで検索する。(以下wikipediaより引用)

ザ・レモン・ツイッグス (The Lemon Twigs) は、ブライアン、マイケルのダダリオ兄弟を中心としたアメリカのポップ/ロックバンド。ニューヨーク州ロングアイランド出身。

どうやら正式名称はThe Lemon Twigsというらしい。

2015年にイギリスのインディー・レコードレーベル4ADと契約し、2016年10月、フォクシジェンのジョナサン・ラドープロデュースによるデビュー・アルバム『ドゥ・ハリウッド』をリリースした。

2015年デビュー! 新しいぞ。僕は新しもの好きなのだ。小説も新しければ新しいほど良いし、古本屋に行ってもできるだけ出版年が新しいものを選ぶ。そっちのが印刷がちゃんとしてるし文字も大きいし読みやすいから。歴史的価値に興味はない。

で、早速Apple Musicで聴いてみたんだがこれがめちゃくちゃいい。

はじめの印象としてはリバイバルである。古い曲を若者が改めてやってみました的な感じだ。たしかにそう。表面的に言えばそうなんだけど、にしてはメロディが良すぎる。その上、力が抜けている。自然だ。

なにより重要なのが聴いててめちゃくちゃ楽しいことである。テンポもコロコロ変わる。楽器もたくさん入ってくる。それがカッコつけるためじゃなく、客を喜ばせようとしてそうしてる感じがする。曲を構成するなにもかもがポップだ。だから嬉しくなってアルバム何周もしてしまう。

lemon twigsとメモした俺、よくやった! そしてオススメしてくれたインターネットの誰か、ありがとう!


The Lemon Twigs - As Long As We're Together


The Lemon Twigs - These Words

短篇集『五月の雪』感想

『五月の雪』という短篇集を読んだ。

短篇集ではよくある、話が繋がってるようで繋がってないような、でも繋がってるタイプなんだが、特徴が三つあって、一つは作者の経験を元にしたフィクションであること、二つ目は全て家族にまつわる話であること、三つ目はソ連からロシアに移り変わり現代に至るまでが舞台になってること。

どういうことか。この人はロシアのマガダンという町で生まれ育ったのだが、その町での暮らしがこの小説の原点になっている。だから舞台はほぼマガダン。といった感じで原作はロシアの話。ただしことばは英語で書かれてる(らしい)。なんでかというと作者はロシアからアメリカに移住した人であり、なおかつこれはあとがきに書いてあったが「ロシアで出版するほどのロシア語は使えない」。だから作中でも最終的にはアメリカに住んでる。オチのネタバラしちゃっていいのと言われるかもしれないが、この小説短篇集というのもあり、時系列がバラバラなのであまり問題ない。あくまで最終的ってのは時系列的な意味でってことだ。それがよくわかる点として、短篇一つ毎、タイトルの下に年号が書かれている。たとえば一番最初の『イタリアの恋愛、バナナの行列』が1975年、次の『皮下の骨折』が2012年、三つ目の『魔女』が1989年、といった感じ。(ちなみにアメリカに住んでる下りは二つ目の『皮下の骨折』内で出てくる。ただ、その短篇はアメリカの自宅で昔を思い出してる話なので、実際のアメリカでの暮らしについては語られない)

話を本題に戻す。この小説ロシアが舞台になってるだけあって、ずっと寒い。そりゃそうだろと言われるかもしれないが、気候的な寒さだけではなくて、物語自体も寒々しいというか、雰囲気がとにかく暗い。大体誰かが酷い目に遭う。遭いかたは人それぞれ、遭う人もさまざま、程度も違う。だからほんとに読んでて悲しくなってしまう。なんだけど悲しいからページめくるのやめちゃおうとはならない。なぜかと言えば、うーん、ロシアの日常ってあんまり想像つかないじゃん。特にソ連からロシアに移り変わる時代なんて、エラい人がエラいことをやってたっていうレベルの(頭が悪くて申し訳ない)、そういうぼんやりとした大きな話としてしか捉えられてなかったから、その上でこの小説を読むと、あの国にも人間がいて普通に暮らしてるんだな、という超当たり前のことに気付かされて、もっと知りたい、と興味をそそられて読んでしまうのだ。たとえば一番読んでいて辛かったのが『イチゴ色の口紅』という短篇で、これは自分の一番好きな男が他の女に取られてしまい、しかたなく選んだ軍人の男と結婚した結果、実は賭け事が大好きな男だってことが判明して…という話。悲しいは悲しいんだけど、あくまでその悲しさは日常的な悲しさであって、突拍子もないことが起こったりはしない。その普通さがとてもいい。『この世界の片隅に』が戦争にも日常があることを教えてくれたみたいな感動がこの小説にもある。僕はだけど。頭の良い人(ロシア研究してる人とか)が読んだらまた違った感想になるのかな。

五月の雪 (新潮クレスト・ブックス)

五月の雪 (新潮クレスト・ブックス)