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モンスターハンター:ワールド面白い

※僕はモンスターハンターは2ndGまでやって引退、MHWで久々に復帰、ストーリー未クリア、そこら辺を加味して読んでほしい。

 

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モンハンワールドマジで楽しい。

まずマップを見ているだけで楽しい。常にリアルタイムでモンスターが移動してるから、マップを開くと小型モンスターはドット、大型モンスターはアイコンで表示されるのが確認できるのだが、それらが動いているのをずっと見ているだけでもニヤニヤできる。

またモンスター以外の生物も、こちらを攻撃してこないタイプの生物を環境生物と呼称してるのだが、この環境生物があちこちにいて、たとえばモンスターの死骸に集まってくる鳥や、大型モンスターが近づくと色が変化する虫など、モンスターの動きや状態によっていろんな変化を見せたりもする。

僕がこの世界に対して何のリアクションを取らずとも、常にフィールド内のどこかで何かが動いているので、たとえこのゲームを起動していなくてもこの世界は存在しているんだ、というリアリティが感じられて良い。

フィールド自体の作りも、かなり高低差もあるし植物の種類も環境のバリエーションも豊富なので、同じ一つのフィールドの中でも景色がコロコロ変わる。このゲームは一応アクションゲームということになっているが、アクションを起こさなくても、単に歩いているだけで目が楽しい。モンハンてこんなに探索が面白いゲームだったっけ? と思う。

また、反対にアクションを取ることのできるオブジェクトも豊富で、環境生物や植物に対してアクションを起こすと様々な反応を起こす。たとえば麻痺罠的な役割をしてくれるカエルがいたり、HPを回復させてくれる蜜をぶら下げた虫が飛んでいたり、一定範囲に毒を撒き散らす植物が生えていたりする。モンスターと戦う場面においては、それらの様々なオブジェクトを利用することになる。モンスターは様々な場所を動き回るし、場所によって存在するオブジェクトが違うし、なので同じモンスターを相手にしていても、同じような戦闘になりにくい。

最後に、まあこれはモンハンだからってわけではないが、同時接続数がめちゃめちゃ多いので、マルチプレイがめちゃやりやすい。すぐにマッチングする。また救難信号という、ソロプレイ中に全世界に助けを求めることのできる仕組みがあるのだが、救難信号を出すと一瞬で人が集まってくる。様々な国の人が手伝いに来てくれるので楽しい。


問題があるとすれば、これはいろんな人が指摘している点かもしれないが、マルチプレイをする為の集会所がほとんど役割を果たしていない。

最大16人が集会所に集まることができるとうたっていたが、どこにいてもマルチプレイに参加することが可能なために、確かにこれはかなり便利なのだけど、そのせいで集会所が形骸化してしまっている。ネットで見た意見で僕と同じこと考えてる! と思ったのが、はじめは集会所に集まってマルチプレイをする設計にしていたが、マルチプレイをやりやすくするため改修をおこなった結果、どこでもマルチに参加できるようになり、集会所の存在意義がよくわからなくなってしまったのではないか、という予想。

かといって、アップデートなどで「集会所に集まらないとマルチできないよー」という風にシステムを変えてしまうと、確実に今までのマルチプレイより不便になってしまうことは間違いないのでそれも難しく、一体これどうするんだろうって感じ。発売前にやっていた開発者参加のモンハンの生放送では、16人が集会所に集まる様子が流されていたけれど、実際には夢のまた夢だ。

またこれは個人的な要望なのだが、女性に男性用防具をつけられるようにしてほしい。このゲームは男を選ぶか女を選ぶかによって防具のデザインが違うのだが、女性用防具があまり自分の好みではないのだ。肌が露出してるというのも嫌っちゃ嫌だけど、単純にかっこよくないと思う。僕の趣味としても、女性がかっこいい防具を着けているのが好きなのでなんとかしてほしい。とは思うが、男と女だと骨格から違うため、デザインというか防具の形的にもはまらなそうだなあとも思う。男キャラをかわいくしていく方向はどうだろうとも一瞬考えたけれど、別にかわいい男が好きなわけではないし男の娘好きではないしと思って実行には移さず。だからほんとうに、仕方なく、妥協の結果、男キャラをそれなりにカッコよくしてプレイしている。

ただ、モンハンのデラックス版みたいなのを買うと、武士的な防具が最初から貰えるのだが、それは男女兼用になっている。ならば男性用防具を女性に着せることも可能なのではと思うが、まあそういう特殊なやつだけ兼用になってるだけなのかもしれない。

本人がどう思っているのか、じゃないのか

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あなたの仕事は差別的なので、あなたは首ですと言っているのに等しいわけだ。だから僕は「グリッドガールを廃止する」と言う前に、まず実際に首にさせられるグリッドガール本人たちがどう思っているか、仕事に対してどう思っているか、廃止されることに対してどう思っているか、をちゃんと聞かないといけないだろうと思った。そうじゃなきゃ誰のために、何のために廃止するのかよくわからない。

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他の記事ではグリッドガールレースクイーン本人による憤りの文章も紹介されている。本人たちに何の相談もなく、これは差別的だと判断し廃止を決定していいわけがない。当人の意見より外部の人間に配慮をすることの方が重要なのだろうか。ならばその職業に就いている人たちの権利は一体どうなるのか。単純に、商売としてグリッドガールがいない方が良い、そのほうが経済的である、と言ったならともかく、女性差別を持ち出してグリッドガールを否定したのだから、彼女らの権利についてなあなあにするわけにはいかないはずだ。彼女らだって女性なのだから。

「僕は/私は興味がないからなくなってもいい」という意見もあったが、それはちょっと主張として雑すぎる。僕の興味がないものはなくなってもいいと、そんな単純な話ではないだろう。例えば僕がBLに興味がないのでBL作家は首になっても構わないとか、少女漫画に興味がないので少女漫画作家はいなくなっても構わないとか、そういうことをちょっと考えてみればいかにいい加減なことを言っているかがわかる。自分がそれに興味を持っていないことは、それを無くす理由にはならない。

 

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ただこれを読む限り、怪文書であることを百歩譲ってこれが本当のことならば、相当やばい業界だってことはわかるし、廃止にされても仕方ないのかなという気分にもなる。

でもこれでわかるのは、レースクイーンそれ自体というよりは、業界の裏側に問題があるということなので、それは記事内で理由として書かれていたこととは別の話なわけだ。これを上記のF1のニュースの論点と合わせて語るのは難しい。たとえば、AV女優の裏側に問題があるということと、AV女優の仕事それ自体が差別的かどうか、ということをごっちゃにして考えるのは難しいのと同じように。

F1側はグリッドガールという職業それ自体に問題があると言ったわけで、グリッドガールの裏側には問題があって、その問題を解決するコストが払えない、払いたくないのでグリッドガールを廃止します、と言っているわけではない。それとも、表向きは綺麗な言い方をしてたけど、本当はこういう理由なんだけど隠してました、的な感じなのか。そこまでいくと流石に妄想の域に入ってくるのでなんとも言えない。

ただし、グリッドガールレースクイーンそれ自体が差別的職業かどうかというのとは別の話として、もしここに書かれている文章が事実ならば、業界はこれらのセクハラ、枕営業、薬物問題を解決するべきだし、しなくちゃいけないとは思うが。

ゆるキャン△一話の感想と与太話

ゆるキャン△の一話を見てすごく感動したのは、これが僕が聞いたことのあるいわゆるアニメーションの構成のコツ、作り方のコツだと思ったからだ。

24分のアニメがあって、そのすべてでカロリーの高い、情報量の多いアニメーションを見せ続けられるのは視聴者にとって苦痛というか、単純に見ていて疲れてしまう。だから視聴者が最後まで作品を見続けられるよう、適度に力を抜いて、情報量をコントロールする必要がある。つまりどこが一番見せたいところなのか、どこがそうでもないところなのか、メリハリをつけて見やすくする必要がある。それが、僕が知ってるいわゆるアニメーションの作り方だった。

ゆるキャンというアニメは、京アニみたいに全編異様な滑らかさと情報量を視聴者に与え続ける、パワーのある作品ではなくて、そういう意味で「入りと抜き」がしっかりあるアニメだったので感動した。だから見ていて本当にストレスがないし、心地よい。

とりわけ一話で一番大事なのは、これがどういうアニメかっていうところを端的に示すこと、つまりこれがゆるくキャンプをするアニメなんだよってことをちゃんと伝えることである。言い換えると、いわゆる作画的なポイントとしては、あの主人公じゃない背の小さい女の子がキャンプをする様子、それを事細かに表現することが大事だ。だから一話の作画的な見所が「テントをどうやって組み立てるのか」の描写になっている。キャンプにおける、一番わかりやすく、キャンプ的なシーンをなめらかなアニメーションで見せ、加えてそこに出てくるキャンプ道具、小物の作画にもこだわりを見せる。

逆にそれ以外の、例えば冒頭の自転車のシーンはほとんど作画的に動かしていない。トンネルを通ってキャンプ場まで行き、キャンプの手続きをするまでのくだりを枚数を割かずにほとんど間とカットの切り替えだけで見せている。あれは監督さんの工夫によるものだろう。

ちょっと失礼かもしれないが、このアニメってオープニングアニメーションもそうだし全体的なアニメーションの感じもそうなんだけど、あんまり予算があるようには見えない。だからその中でどうやって工夫して感動させるか、視聴者を最後まで釘付けにするかみたいなことが凄く考えられてる感じがする。

 

ここからは余談。

本職のアニメーターの人にとってはこんな与太話「何を適当なこと言ってんだお前」と言われるかもしれないが。

最近アニメが厳しい厳しいみたいなことを言われているけど、唯一その中で希望を抱いているのは、もっとキャラデザがシンプルになったり、あるいはこのゆるキャンのように、作画のカロリーをコントロールする、入りと抜きのハッキリした、以前のようなアニメーションが復活するんじゃないかっていう、そういう希望的なものを持っている。なぜなら単純にその方が作る方も楽だから。

例えば以前ヤマノススメセカンドシーズンを見たときに、これからは15分アニメが流行るんじゃないかってちょっと思っていた。なぜなら単純に15分なので、普段より早く作れる。スケジュール管理が楽になる。そしてその分作画監督なりメインアニメーターなり監督なりの個性が出しやすくなっていいんじゃないかなと思ってた。実際ヤマノススメセカンドシーズンはそういうアニメだったから。と思ってたけど結局全然流行らなかった。

その代わりに2018年、ポプテピピックが24分の予算を使って12分アニメを作ってしまえと、そしてそれを再放送して24分にしてしまえばいいじゃないか、という無茶苦茶な、あまりにも無茶苦茶な、確かに誰も考えつかなかったけれど、確かに発明っちゃ発明だけど、だからといって誰も真似できないようなことをやってきてとてもびっくりした。アニメの将来については全然わかんないけど、少なくともあのフォーマットだけは流行らないと断言できる。