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桜trickは神アニメ

百合というのは女性同士の恋愛を創作(ファンタジー)として表現したものであるが、エロがあっても良い派、エロがあっては駄目だよ派の抗争はあるにしろ、共通する特徴としては、基本的に物語=過程を重視するという部分がある。同姓を好きになってしまうことに悩んだり、前の男のことを忘れられなかったり、そういう「心情の変化」を重視する部分があるのではなかろうかと思っている。

しかし桜trickは全くと言っていいほど葛藤しない、共学という設定は何のために付けたんだってくらい葛藤しないのだ、だから一話を見た時は相当の衝撃を受けた。百合ならば「どう」くっつくか「どう」離れるか、の「どう」=過程の部分を重点的にやるべきなのに、このアニメにはそれがない、おかしい。

ただ一回この世界にハマってしまうともうだめだ、ドラッグのようにキマってしまうともうダメだ、このドラッグはとにかく気持ちいい、なぜならこの世界は幸せしか無く、ドロドロはなく、しかもひたすら百合における一つのクライマックスを見せ続けるという、もうアミノ酸とにかく突っ込んどけば旨いだろ的な、ファーストフード的な気持ちよさがあるからだ。

そこで僕は気付くのだ。僕は本当に過程を求めていたのだろうか、僕が欲しかったのは可愛い女の子同士がキスをするシーンだけだったのではないか、僕はただ女の子同士がイチャイチャする「だけ」の作品を心の何処かで欲していたのではないか。

つまり、ただ女の子が可愛いだけのアニメでいいじゃんということで日常系アニメが生まれたように、シリアスなんて要らないからただ主人公とヒロインがイチャイチャするだけのエロゲでいいじゃんということでラブラブルが生まれたように、女の子がキスするところが一番カタルシスを得られるのならキスをメインに据えた百合作っちゃえばいいじゃんということで桜trickが生まれたのだ。そうに違いない。

故に桜trickには起承転結は要らない。オチなんか必要ない。起キス転キスである。この作品はいかに女の子同士がキスするのか、そのことだけ考えてみればいい、他は必要ない、それを理解してしまうともうだめだ、ただひたすらよだれを垂らしながら見るだけになってしまう。

だから作品に物語を必要とする視聴者は、これを駄作として排除しようとするだろう、少なくとも岡田斗司夫はこのアニメを好きになれないだろう。ただしこれはそういう作品ではない、物語が必要な作品ではないのだ。

Twitterでも見かけたがこのアニメはドラッグである、キマるまでにある程度の時間を要するドラッグではあるが、ただ数々の日常系アニメである程度耐性が付いているオタクはいずれこのドラッグに快感を覚えることだろう、そしてキマってしまったらもう抜け出せない。僕はこのアニメを毎話三回ずつ見ているが、ちっとも飽きないし次がすぐ欲しい。