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監視カメラと『ザ・サークル』

電車内における痴漢は非常に多いので、それを防ぐために電車に監視カメラを置けばいいんじゃないか、という意見がある。また、この間もラジオで「国会中、ちゃんと議員が寝てないか確認するために、政治家一人ひとりに監視カメラをつければいいんじゃないか」という意見を聞いた。そういう意見を聞いたときに思い出すのが『ザ・サークル』という小説だ。

ザ・サークル』では、近未来のソーシャルネットワーキングな世界の中で、皆がポジティブに監視社会を望んでいく過程が描かれている。その中に、両親の病気を治すことと引き換えに、自分の両親の実家内に監視カメラを置く、というシーンが出てくる。

この時点で、主人公はすでに自分自身にカメラをつけて、自分の生活を全世界に公開して共有する、そういう状況になっている。具体的には、主人公の視点から見える、起きてから眠るまでのあらゆる状況(ただしトイレと風呂、睡眠の際はカメラのスイッチを切ることが許されている)がインターネットを通じて全世界で生放送されている。何もかもが筒抜けになっているのだ。僕から見たら相当むちゃくちゃなことをやっているなと思ってしまうが、「監視のない状況だと人間はおかしなことをしてしまうのであなたは監視される必要があるし、やましいことをしていないならなおさら監視カメラを拒否する理由がない」という論法によって、主人公の監視は肯定されている。

ある日、主人公が「実家は今どんな状況なんだろう」「あわよくば両親と話したいな」と思い、実家の監視カメラの様子を確認する。すると自分の両親がセックスをしている映像がバーっと流れてくる。主人公は自分自身にカメラを付けているので、自分のカメラを通して両親のセックスが全世界に公開されてしまった。慌てて主人公は首を振ってカメラを動かすがもう遅い。続いて世界中からの慰めの声が主人公にじゃんじゃん届いてくる。彼女はひどく落ち込む。その後、ショックを受けた両親は自分の家から監視カメラを外してしまう。

ここで僕が言いたいのは、「合理性」で許されない部分てありますよね、てことだ。たとえば殺人事件のうち、家庭内で起こるものは非常に多い(ドラマ『アンナチュラル』でも語られていた)ので、じゃあ殺人事件を減らしましょうとなったときに、家の中に監視カメラを置くというのは「殺人事件を減らす」という一点においては非常に合理的な手段である。しかし合理的であるからといって倫理的に許されるか、という問題があるわけだ。

「監視カメラを置けば防犯効果もあるし犯人も捕まりやすくなるし」なんてことを僕たちは簡単に言ってしまいがちだが、監視カメラを置くことで、つまり「自分が監視されている/監視できる」ことによって、そしてそういう意識を持つことによって起こるデメリットについてもちゃんと考えなきゃいけないなと思う。

単純に監視カメラを置くことに反対って言ってるわけではない。なぜだかメリットばかりが強調されていて、デメリットについてあまりにも触れられてなくない? 「監視」というのが一体どういうものなのか、あんまり考えられてないのでは? と思ったのだ。

ザ・サークル

ザ・サークル

 

とりあえず信じてみるしかない

映画『羊の木』を見た。

hitsujinoki-movie.com


映画『羊の木』 予告編

六人の元殺人犯が仮釈放され牢屋から現実世界に帰ってきたとき、一体何が起こるのか。という映画。

 

僕は昔、世の中には死んだほうがいい人はいるのだろうか、ということについて考えたことがある。具体的には人を殺したことのある人間を助けたいと思うか、と聞かれたら大抵の人は助けたくないし関わりたくないと答えるだろう。なぜなら過去に殺人歴のある人間なんて、どんなひどいことを自分にしでかすか、あるいは自分の周囲の人間にしでかすか、を考えるとどうしても受け入れがたく思ってしまうからだ。彼らを助けることよりも自分たちが助かることの方が重要なのだ。

しかし殺人犯を社会が受け入れる必要はあるかと言われたら、客観的に考えればある。受け入れないと彼らはどこにも働く場所がない、働く場所がないとお金が手に入らない、お金が手に入らないと再び人を殺すか、あるいは強盗か何か、犯罪をするしかない。お金が入れば、刑務所に入れば生活ができる。そして刑務所を出ると同じことをする。生活できないからだ。結果、再犯率は上がり被害者は増える。負のループである。故に社会全体としては彼らを積極的に受け入れる必要がある。

だから個人としては拒否反応が出てしまうとしても、上記の理由(再犯率の上昇、被害者の増加)により社会が彼らの更生に関わることに反対かと言われたら反対はしないだろう。しかしあなたが助けないと言ったとして、では誰が助けるのか。大抵の人は助けたくない、じゃあ誰が助けるのか。社会が助けてくれるのには賛成だ、じゃあその社会は誰なのか。社会は自分ではないとみんなが思っているなら、誰も助けないんじゃないのか、と僕は考えた。

 

この映画は、もし社会(あなたでありわたしでもある)が元犯罪者の更生に積極的に参加させられたとして、その結果何が起こるかということの一種のシミュレーションになっている。彼らが良い人間なのか悪い人間なのか僕たちには全く判断ができない。一見良さそうな人間に見えて実際に良い人間なのか、一見良さそうな人間に見えてそうではなかったと思いきや良いところもある人間なのか、一見悪そうで実際に悪い人間なのか、それをどうやって知ることができるのか。手っ取り早い手段が一つある。コミュニケーションだ。だからこそ事情を知ってる主人公も、何にも知らない町の人たちも、六人全員とちゃんとコミュニケーションを取ろうとする。その結果、ある場面ではうまくゆき、ある場面では失敗する。

 

この映画を見ながら本当に思うのは、とにかく信じてみるしかないということだ。元殺人犯側の立場でも、町の人側の立場でも。この映画において、彼らは自分の過ちをきちんと相手に懺悔することによって、そしてそれを相手が許すことによって、居場所を獲得し安全な生活を手に入れる。彼らは相手を信じ、自分のことをさらけ出し、「助けてくれる誰か」を見つけることで社会に居場所を得ることができる。それがどうしても言いたくない秘密であったとしても。そして私たちは、さらけ出してくれた秘密を受け入れることで、彼らに居場所を与えることができる。それがたとえ元人殺しという過去であったとしても。

逆に、たとえ濃い関係性を作ろうとも、自分の秘密を告白せずに人間関係を続けようとすると、それはどこかで破綻する。じっさい作中において、主人公は六人のうちのとある一人と深く関わった末、大変なトラブルに巻き込まれる。彼と関わりを持たず見て見ぬ振りで済ませておけば、主人公がひどい目にあうことはなかったかもしれないが、彼がどんな人間なのかブラックボックスの状態で彼を助けるかどうかと言われたら、それは助ける必要があると考える方がよい。その方が良いはずだ。彼がどういう人間なのかどうかは彼と関わらない限りわからない。わからないなら悪なのか善なのか普通なのかグレーなのかわからない。つまり受け入れる受け入れないの判断ができない。ならば関わるしかない。

コストを払うのが面倒くさいので全部まとめて拒否します、なんてことはもう許されていない。「ある集団の中に危害を加える人間がいそう」なことはその集団を拒否する理由にはならないのだ。現代社会でそういう楽をすることはできない。白人より黒人の方が犯罪率が高いらしい。女性より男性の方が犯罪率が高いらしい。では黒人と男性は殺すべきか? 言うまでもない。ISISがイスラム教徒だからといってイスラム教徒全員を殺すことは許されていないし、北朝鮮拉致問題があるから、北朝鮮が日本を敵国認定しているから、ミサイルを海上に撃ってきてるからといって日本に住む北朝鮮国籍の人間をスパイの疑いで全員殺すことはできない。そしてそれは正しい。

ならば同様に元殺人犯の彼らも社会から拒否されず、社会に帰ってゆくのだし、帰ってゆくなら生活ができるような手助けがなくてはならない。六人の中の誰が善良で誰が邪悪なのかどうなのか、第一印象で取捨選択をしろと言うのは無茶だ。この世界にはまだシビュラシステムが存在していないのだから(シビュラシステムが正しいシステムかどうかについては置いておく)。

 

僕はあなたのことを知らないけど、あなたと仲間になろうと思ったら多少腹をくくってもあなたのことを信じるしかないのだ。あなたが実は裏切り者だったとしても、それを最初から判断できる術はないし、印象で判断すること自体が差別に加担することになるかもしれないし、だからとりあえずでも信用するしかない。あなたと関わらない限り、あなたが僕に危害を加える人間なのかどうか、僕のことをわかってくれる人なのか、判断することができない。あなたは僕と関係のない人間なので知ったこっちゃない、と切り捨ててしまうことは、あなたがあなたの人生を悪化させる、あるいは自分の人生を悪化させる、引いてはこの社会を悪化させる手助けになってしまうかもしれない。

モンハンワールドはアクション以外の遊びがかなり面白くなった

jkjg.hatenablog.com

実質↑の続き。

こっちには更に個人的にいいなと思ったことを書こうと思う。

※僕はモンスターハンターは2ndGまでやって引退、このMHWで久々に復帰、ストーリー未クリア、そこら辺を加味して読んでほしい。

 

  • フィールド

まずは「探索モード」の追加である。

以前のモンハンでは基本的にクエストを受注してフィールドに向かうしかないので、最長でもそのクエストの時間制限内しかフィールドを歩くことができなかった。しかしモンハンワールドでは「探索モード」という新しい機能が追加された。これは時間を気にすることなく、いくらでもそのフィールドを探索し続けることができるモードで、このモードの間はいくら死んでもゲームオーバーにならず、拠点に戻されなくなった。

次に、これは前回も話したが、フィールドが大幅に変更されたことで、単純に歩いているだけで楽しい空間になった。

今回のモンハンワールドのフィールドは、環境生物の存在、リアルタイムでのモンスター移動、高低差のあるつくり、バリエーション豊かな植物、環境生物などなど様々なアップグレードがおこなわれた。つまりフィールドそれ自体にかなり魅力がある。だから単にぶらぶらしているだけでも、レアな環境生物を見つけたり、テトルーのすみかを発見したり、地面に大きな飛翔体の影ができて、空を見上げるとリオレウスが空を飛んでいるのが確認できたり、この世界がちゃんと生きている=リアリティを感じることができる。これほど楽しい散歩はない。

 

  •  討伐/捕獲以外のクエス

個人的にモンハンワールドでなにより一番大きいと思うのが、モンスターを倒す以外の遊びの重要度が上がったことだ。

まず採集クエストが変わった。以前のモンハンにおける採集クエストって、捨てクエスト的な扱いというか、強制的にやらされるものって感じだったけど、今回はかなり良くなった。具体的には採集クエスト自体が撤廃され、新たに「バウンティ」なるものが追加された*1

バウンティはクエストとは違い、時間制限が存在せず、複数のものを同時にこなせる仕組みになっている。その結果、何かを採集する度にいちいち拠点に戻る、というような煩わしさがなくなった。また、単純にバウンティそれぞれの報酬が、以前の採集クエストに比べて豪華になった。具体的には防具強化に必要な鎧玉と、「調査ポイント」というものがもらえる。これは拠点にある様々な施設で利用できるお金のようなもので、食事の対価になったり、調合に使う植物を育ててもらったりいろいろなことができる。これによって採集をする意義が増した。

そして「探索モード」という時間制限のない、クエストと関係のない、ただフィールドをぶらぶらできるモードが追加されたおかげで、例えばバウンティを複数登録した後にフィールドに向かい、ゆっくり辺りを散策しながらついでに採集する、なんてことができるようになった。逆に効率よくさっさとクリアしたいという人ならば、バウンティはクエストとは別の扱いなので、クエストと並行してバウンティを登録し、採集と討伐/捕獲をまとめて行うこともできるようになった。

次に納品クエストが変わった。これまで書いた通り、採集クエストにはかなり大幅な変更があった。特定のアイテムを一定の数おさめる「納品クエスト」は、時間制限のある「納品クエスト」、時間制限のない「納品依頼」の二種に分裂したが(正直時間制限の有無以外の違いがよくわからない)、以前と同じく存在している。ただし以前とは違い、かなり意味のあるクエストになった。

卵を持ったまま回避行動を取っても卵が割れないようになった、というような細かい変更もあったが、それ以外の点として、報酬が変更された。例えば食事場の食材が追加されるであるとか、植生研究所で育ててくれるアイテムが増えるであるとか、つまり戦闘を有利に進めるために拠点をアップグレードしてくれる、という大きいリターンが得られるようになった。

他にも、クエスト関連(武器製作や調合のための素材集めを含む)やバウンティとも関係のない行動、例えば環境生物を捕まえたり、特殊な植物を採集したりしても、調査ポイントが貰えたり、食事場で使う食材が増えたりと、報酬が得られるようになった。

 

最後に、モンスターを倒すタイプのクエストにも変更があった。特にモンスターと対峙していない時の手持ち無沙汰な感じがなくなった。もちろんアクションゲームとしての駆け引きを楽しむパートもある。しかしそうでないパートにもちゃんと制作側が意味を持たせようとしている。同じ討伐/捕獲クエストの中でも流れがあるのだ。

以前の大型モンスターに会うまでの時間って、僕にとってはさっさとモンスター見つけてペイントボールを投げなきゃという、単に急がなきゃいけない、あまり意味のない時間だった。今回のモンハンワールドでは「今はモンスターを探す時ですよ」「今はモンスターと戦う時ですよ」ときちんとゲームの中で定義がされていて、戦う時はもちろん素材という報酬が手に入るわけだが、モンスターを探すターンにおいても報酬が入手できるようになった。たとえばモンスターの痕跡を探すことで調査ポイントがもらえたり、たまにモンスターが鱗などの素材を落としてくれたり。無駄な時間を過ごしている感じにはならない。

そしてモンスターの捜索と戦闘を繰り返し、経験を積めば積むほど、技術が上がれば上がるほどモンスターと余裕を持って戦えるようになり、その頃になるとモンスターを倒すまでの時間も短くなるし、もはや最初の捜索パートなんか不要になり、さっさとモンスターをとっちめたい気持ちにもなってくる。ゲームの仕組みとしても、モンスターの痕跡を見つければ見つけるほどそのモンスターについての調査が進み、モンスター発見までの時間が短くなるようになっている。つまり、自分の戦闘技術の向上と、モンスターの発見スピードの上昇が大体比例するようになっているので、またクエストクリアで得られる素材が豪華になったことも手伝って、以前よりモンスター討伐/捕獲に飽きるということが起きにくくなっている。

 

  • まとめ

これらの変更により、モンハンというゲームのプレイに幅が出た。フィールドでどんな行動を取ってもプレイヤーにとって何らかの利益になるので、ゲームを起動したときに、あのモンスターを倒すために頑張らなきゃ、という風には必ずしもならない。とりあえず適当に探索モードでだらだらバウンティやろう、今日はそろそろ武器防具のためにモンスターと戦おう、あるいはさっさと進めたいからバウンティもクエストも一気にやろう、今回はわいわいマルチプレイしよう、というように、多様な選択ができるようになった。また、モンハンの根幹の部分である「モンスターと戦う」クエストにおいても、何も得ることのない時間をできる限り減らし、インセンティブを与えたことで、クエストへのモチベーションが上がり、遊びやすくなった。結果、以前に比べて万人受けしやすいゲームになっている。

*1:バウンティの中にはモンスターを討伐/捕獲するものと採集するものの二種類があるが、ここでは主に以前の採集クエストがバウンティとして定義されるようになった、という話をしている。