なにもしらない

アニメ、音楽、本、映画、ゲーム、インターネット

べき論は最悪自分を滅ぼす

少し前にブコメで書いたものをもうちょっと広げて書いてみる。

これは僕の実体験によるものです。

「◯◯するべき」とか、特に不味いのは「◯◯しないべき」の方だと僕は思っているんだけれど、ともかくそういう「べき論」に陥っちゃうのは、自分にとってかなりの損失が出るから、うかつに言わないほうがよい。とりわけ、自分は精神が強くない、と思っている人は、余計にやらないほうがよい。ただし、自分の言ったことはそのまま言いっぱなしで済ませてしまえる、つまりは自分の発言に責任を持たない、メンタルの強い人にとっては、あんまりこの話をしても意味は無いと思うので、読まなくていいです。

僕は以前、あれを正しいと思えば◯◯するべき、あれを間違っていると思えば◯◯しないべきと、ともかくアホみたいにべき論をぶちかましていた時期があった。確かにべき論は正しい、少なくとも自分は正しいと思い込んでいる、また、言ってて気持ち良い、そんな事を言っている自分に酔っているところもある、だからバンバン言ってしまう。

しかし初めはそれでいいかもしれないが、徐々に息苦しくなってくる。

それはなぜかというと、べきを言う度に自分の中にこうしなければいけない、これをしてはいけない、という指針ができてくるので、それを守りつづけられる強い人なら未だしも、僕のような雑魚は言えば言うほどその自分で決めた指針にガチガチに縛られてしまって、それまで普通にやっていた言動も、この前これはやってはいけないと決めたから駄目だ、ということでセーブがかかってしまう。特にブログに限って言えば、これだとこの前言った決まりと矛盾してしまうから書けない、となり筆が止まりまくってしまう。一々自分で付けた、通行禁止の看板がかかってないところを探して探して、なんとか見つけた細い道を通っていかないといけなくなるのは、とても不便だ。

「こころ」のKなんてその典型みたいなもので、彼は、自分で言ってしまった言葉が一つの原因となって自殺することになってしまったわけだ。向上心を持ち続けなければいけない、なんてことはないのだ。

もう一つ問題点を書くと、そのまま行き着くところまで行き着いてしまうと、半分宗教みたいなものになってしまうところもある。自分の決めた「絶対」に縛られて綺麗事しか言えなくなるのだ。その最たる例がイケダハヤトじゃなかろうかと僕は思っているのだけども。

ともかく、ずっと自分で自分の首を絞めながら、なんとか言える範囲の何かを見つけてアウトプットするのは辛い。だから少なくとも「ねばならない」的な言葉はできる限り吐かない方が良いと思う。特に心の弱い人ほど、最悪何も言えなくなって自滅してしまうので、やめた方が良い。自分がメンタルの強い人間ではないという方は、今そうなりかけてるのならばすぐべき論なんかやめちまった方が良い。今まで言ってたのは全部なかったことにしますーと、ちゃぶ台ひっくり返してしまえ。

もし書くのなら、語尾にした方が良い、とか、しない方が良い、とか、特に「思う」は多用した方がいい。言い切らないなんてそんなのただの逃げだから良くない、とかいう綺麗事は捨てた方がいい。よくなかろうとなんだろうと逃げるのだ。自分の中で、これはあくまで自分が思っているだけである、と言い訳できるようにしておかないと、少なくとも自分を誤魔化せるようにしておかないとやばい。

どんなに正しかろうと、もしくは間違っていようとも、嫌なものは嫌だし好きなものは好きなのだ。自分の感情を捨ててはいけない。