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人に「死ね」と言うことについて

『死ね』って言葉は絶対に使ってはいけない『強靭な刃物』のような言葉 - だいちゃん.com
上の文章が正しいか間違ってるかは置いといて、僕の考え方。


死ねと言いたいなら勝手に言えばいいと思う。言うこと自体を否定するつもりはない。

ただ、例えばその後、死ねと言われた人が自殺してしまったとする。相手がどの程度の有名人であるにしろ無名であるにしろ、多少の騒ぎは起こるだろう。そこで、初めて思うのかもしれない。もしかしたら、自分の「死ね」が、その人の自殺の原因の一端を作ったのかもしれない、「死ね」なんて言わないほうが良かったのかもしれない、と。いやいやそんなことはない、死ねなんて言葉で人が死ぬわけない、とも思うかもしれない。確かにそれも一理ある。事実、自分の「死ね」が相手を殺したとは限らないわけだから。その人には既に自殺するだけの状況が整っていたのかもしれないし、「死ね」と言われたことなんて全く覚えていないかもしれないし、それ以前にあなたの言葉を聞いてもいなかったのかもしれない。

ただ、いくら自分が自殺の原因を作らなかったとしても、その人に「死ね」と言ってしまった事実はどうしたってなくならない。自分のせいじゃない、とあなたがいくら思おうとも、あなたが、今は亡きその人に死ねといった事実は逆立ちしたって消えない。消えないのだ。



最初に書くのを忘れていたのでここで書くが、まず前提として言っておきたいのが、悪いことをしたのに悪いことをしたと思っていない人に、恐らくこの言葉は届かない、ということである。

けれど、もしあなたが、他人に悪意を向けたことに、少しでも良心の呵責を感じているのならば、この言葉を分かってくれるはずだ。もちろん、良心があるからといっていつでも良心的な振る舞いができるわけじゃない。不機嫌だったり、我慢ができなかったり、でその結果、相手に酷いことを言ってしまったり、してしまったりすることはある。それはそれで仕方ない。ただ、してしまった事実は無くならない。それを受け止めて、反省して、次からは気をつけよう、となればいいんじゃないか、と。

別にこれは死ねに限る話ではない。何かを「間違えた」と思った時、素直にごめんなさいといえるか、という、それだけの話である。

これは感情の問題だ。論理ではない。だから納得はさせられないかも知れない。そんなん知るかと言われてしまえばオシマイな、稚拙な論である。でも、もしそれでもあなたに、良心があるのならば、その良心に従って欲しい。



最後に言い訳。

書いてみたら胡散臭すぎてやっぱり無理っぽい。自分自身こんな聖者みたいな思想持てない。綺麗事すぎる。僕死ね。

でも結論については、概ね正しいと思っている。「悪いことをしたと気付いたら悪いことをしたと思って反省する」、と。これに関しては僕はもう、個人的には定義と言っていいくらいだ。確かにアタリマエのことなんだけど、このアタリマエのことが僕には難しい。だから当面の目標です。