なにもしらない

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Tumblrの快感

Tumblrはなんでこんなに楽なんだ、と考えた時に思ったのが、ああここはちゃんとしたコミュニケーションが必要ないからか、ということだった。

Tumblrでは相手の気持ちを考える必要はない。相手に合わせて返信する必要もないし、ツッコミを入れる必要もない。ただちょっと気になったらリブログし、更に気に入ったらハートマークを押すだけだ。気に入らなかったらスルーすればいい。だからこんなんコミュニケーションじゃない、コミュニケーションじゃないんだけれど、何故か皆繋がっているような、繋がっていないような、自分は自分のTumblrをただ面白くするためだけにこの行為を行っているのだけど、でもなぜかゆるゆるでスカスカな、けれど一体感があの場所にはあって、その一体感、いや、一体感「のようなもの」が僕にはたまらなく楽なのだ。

他のインターネットプレイスではそうは行かない。自らの意見としてぶつけてしまうことが多すぎる、言い換えれば、そこに「自分」が必要以上に現れてきてしまう。例えばTwitterならば、あのリツイートという方法、いくらあれは他人の意見であると言おうとも、アカウントの力が強すぎる。リツイートには責任が生じる。比べてTumblrはそんなことがない。そこにアカウントはあるが、マイTumblrもあるが、それは自分と繋がっていない。Tumblrには、限りなく自分ではない、希薄な自分が存在している。

だからこそ、あの場所では誰も傷付かない。ネトウヨネトウヨ的Quoteをリブログしまくっていても、誰もそいつにバカなことやってるんじゃない、と文句を言うことはない。黙ってスルーするか、余りに不快ならばフォローを外すだけである。その後ねちねちとそいつに対し愚痴をこぼすこともない。再びdashboardに戻り、黙々とリブログを繰り返すだけである。誰とも殴りあわずに、ただ自らのTumblrの質を上げるためだけに、僕らはリブログする。

どんな人間であろうとTumblrは受け入れ、ユーザーは受け流す。喧嘩もせず、馴れ合いもせず、けれども不思議な一体感が漂っている。

そこが素晴らしい。それがTumblrを他のどのSNSにもない、場所にもない、唯一無二のモノにしている。



あーーー鈴木愛理めっちゃかわいい。